滅亡が迫ると人は無性にポジティブになる

2022/01/13 ・ 引用 ・ By 秋山俊

「何か知らせはあるか」

「特にありませんが、あえて言えば世の中に正直者が増えてきました」

「するとこの世の終わりも近いということだな」

HAMLET: What’s the news?
ROSENCRANTZ: None, my lord, but that the world’s grown honest.
HAMLET: Then is doomsday near:

シェイクスピア
『ハムレット』第二幕第二場

ローマ帝国や大英帝国の衰退期には空前の健康ブームが起きたそうですが、まあ関心が内側をむくというのは滅びの予兆でしょうね。

MrJohnny
吹風日記

滅びに瀕した人間が、滅亡の直前になるほど生命力に満ち溢れ、むしろ溌剌とする、という現象は、以前から私の関心を引いていた。私が特に記憶しているのは、昔テレビで放送していた、余命幾許もない少女が「なんだか知らないけど、毎日がハッピーなの」っと言って、大変幸福そうに振る舞っていたことである。その様子には少しの無理も振りも感じられず、心底幸福そうであった。

肉体がご破産になることを予感した脳は、普段からの節制を突然翻し、一切合財を生命として燃焼させ、「恐怖」というリミッターを外して最後の反撃に出るのかもしれない。

平家は明るい。明るさは滅びの姿であろうか、人も家も、暗いうちはまだ滅亡せぬ。

太宰治
『右大臣実朝』

「ねえ、人生というものは、本当に人生というものは、なんて楽しい愉快なものでしょう!」「まあ、おまえとしたことが、何を言うのだえ、毎晩燃えるような熱が出て、胸が裂けはせぬかと思われるほど咳に苦しめられながら、なんでおまえに楽しいことがあるもんですか」

すると「お母さん」と兄は言った、「泣くのはおやめなさい、人生は楽園です、わたしたちはみんな楽園にいるのです、ただわたしたちがそれを知ろうとしないだけなんです、もしそれを知る気にさえなったら、明日にもこの地上に楽園が出現しますよ」

一同はこのことばに深く驚いた。それは兄がいかにも不思議な、きっぱりとした言い方をしたからである。

ドストエフスキー
『カラマーゾフの兄弟』

じっさい自分でも不思議なのは、わたしがいまだに理想のすべてを捨て去ってはいないという事実です。だってどれもあまりに現実ばなれしていて、とうてい実現しそうもない理想ですから。にもかかわらず、わたしはそれを持ちつづけています。なぜならいまでも信じているからです たとえいやなことばかりでも、人間の本性はやっぱり善なのだということを。

わたしには、混乱と、惨禍と、死という土台の上に、希望を築くことはできません。この世界が徐々に荒廃した原野と化してゆくのを、わたしはまのあたりに見ています。つねに雷鳴が近づいてくるのを、わたしたちをも滅ぼし去るだろういかずちの接近を耳にしています。幾百万の人びとの苦しみをも感じることができます。でも、それでいてなお、顔をあげて天を仰ぎみるとき、わたしは思うのです。 いつかはすべてが正常に復し、いまのこういう非道な出来事にも終止符が打たれて、平和な、静かな世界がもどってくるだろう、と。それまでは、なんとか理想を保ちつづけなくてはなりません。だってひょっとすると、ほんとにそれらを実現できる日がやってくるかもしれないんですから。
じゃあまた、アンネ・M・フランクより

アンネ・フランク
『アンネの日記 完全版』深町眞理子訳, 文春文庫, 1994年

(ヘッダー画像:ジョン・マーティン「ソドムとゴモラの滅亡」)

初版:2022/01/13 ―― 改訂: 2022/01/17

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