橋本治の思考:「1970年に思想は一度おわり、全く違う日本の歴史が始まった」

2021/12/26 ・ 引用 ・ By 秋山俊

一九七〇年というと、ピークに達した学生運動が退潮に向かって行く年で、作家の三島由紀夫が自衛隊に「決起」をうながして自殺をして、日本で最初のウーマンリブの集会が開かれた年である。日本の思想状況は、この一行に全部集約されている。つまり、思想の左右対立状況が無効になって、「女」という新しい要素が登場するということである。

橋本治
『失楽園の向こう側』小学館文庫、以下同様

私は1970年の時点でまだ生まれてすらいなかったが、「70年以前の世界」と「ポスト70年」で、日本の状況が全く違うということは強く感じる。それは単に「政治闘争の挫折で、“しらけ世代”が登場した」というような「歴史の流れの1つ」ではない。“しらけ世代”の登場は、「ポスト70年」という時代状況から必然的に誕生派生した「現象」の1つに過ぎず、その根幹にもっと本質的で根深いものがある。そう橋本治は言っているのである。

今の三十代の人間が「一九七〇年以前のことは知らない、伝説の時代のようなもんだ」と思うのは、「自分がまだ生まれていないから」とか、「自分がまだ小さくてなんにも分からなかったから」ではなくて、そこから前と後とでは、歴史がカパッと分かれていて、史観さえもが違うからなのだ。

橋本治によれば、「20世紀の終わりに多くの人がその思想の総括をしようとしたが、70年に差し掛かると行き詰まって挫折した」という。出版の世界にいる橋本治はそういう話を色々聞いたというのだ。そしてその理由は、70年を堺に日本の思想状況が一変してしまい、しかも当事者たちは根本的なところでそれを理解していなかったからだという。

一九七〇年の日本では、「思想の左右対立状況」が無効になった。今からすれば、「だからなに?」だろうけれども、もしもそれ以前の日本に、「右翼と左翼の対立」以外に「思想状況」なるものがなかったら、どうなるのか? ものを考えるのに際して、まず「お前は左翼か? 右翼か?」という色分けがあって、その色分けを無視して存在する「思想」なんかは「思想じゃない」とされる状況があったとしたらどうなるのか?「思想の左右対立状況」が無効になったら、「思想」そのものが成り立たなくなってしまう。

一九七〇年までの日本人は、まだ豊かではなかったので、「豊かさ」という実感の伴わないことには焦点を曖昧にしておいて、「思想」というめんどくさいことを、「きっと立派なことなんだ」と思い込んでいた。

「一九七〇年までの日本」と「一九七〇年以後の日本」というのは、なにかと似ていないだろうか?それは、「大学へ入る年頃までの自分」と、「大学へ入った後の年頃の自分」でもあるはずである。

(ヘッダー画像:『失楽園の向こう側』)

初版:2021/12/26

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