橋本治曰く:「三十代の若者」とは「若ハゲの問題でしかない」

2021/12/25 ・ 引用 ・ By 秋山俊

昔、アガサ・クリスティーのミステリーを読んでいた時、「若者」とか「青年」として登場する男が、三十八とか四十二とかいう恐ろしい年齢だった記憶がある。こっちは二十歳ぐらいの若者、だったから、「そんなジジーの“青年”があるもんか」とは思ったが、怒りながらもついつい冷静になってしまう私は、「イギリスが老大国と言われるのはそういうことなのか」とか思った。十九世紀に世界一の大国となったイギリスは、アガサ・クリスティーが書く二十世紀の初めには、もうそういう成熟だか老化だかを示していた――ということなんだろう。だから、世界一の経済大国となった後の日本に、「三十代の若者」がいたって不思議はない。

橋本治『失楽園の向こう側』小学館文庫, 2006年

戦後の平和で豊かなになって、子供でも大人でもない「青年」という人生領域が大きく拡大した。一斉に「青年」になった団塊の世代をターゲットに、青年雑誌など多くの雑誌やサービスが勃興した。

これと同様に経済的繁栄を達成した後の日本では、「三十代の若者」という新たな「概念」が登場したと、橋本治は説く。従来の考えでは「三十代」は「若者」ではない。しかし「人生五十年」があっという間に死語になり、日本人が長寿化した結果、そのような「概念」あるいは「認識」が誕生した。

女が四十を過ぎれば、更年期というのが目前になって来る。「男に更年期はない」というのが今までの考え方だが、四十を過ぎれば男の体もガタガタになって、「男にも更年期はある」と言ってしまった方がいいようなもんでもある ということを、どっかで当人もウスウスと感づいている。だから、三十代の男は、「若さ」を問題にしたがるのである。つまり、三十代が「若い」か「若くない」かは、当人が問題にしたがっているだけのものなんだから、「当人の問題」なのである。早い話、「三十代における若さ」とは、「三十代で訪れたハゲを受け入れるかどうか」という、「若ハゲ」の問題でしかないだろう。

『失楽園の向こう側』

「若者」には、「活力あふれる」という意味と「未熟」の意味がある。そして社会の中には「二十代の老人」も大勢いて、既に自分を諦めているか、疲弊している。

三十歳になって、「この先どうしようかな」と考えるのは、自分の若さがすり減っていると感じるからであって、もしその若さがすり減っていなかったら、「この先どうしようかな」などと考える必要はない。「このまんま」でいいのである。必要なことは、「三十にして立つ、などという古臭いことに縛られている必要はない」と断定してしまうことである。

『失楽園の向こう側』

(ヘッダー画像:『失楽園の向こう側』)

初版:2021/12/25

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