『ボディヒート』(’92) / 文学少女がおっさんのエロスに敗北

『ボディヒート』1992年

ディカプリオ目当てで観たら、肝心の彼が冒頭に一瞬しか映ってなくてがっかりした作品(笑)

それはともかく、内容としてはかなりオーソドックスな「悪女が裕福な家庭を乗っ取る」タイプのエロ・サスペンスである。その乗っ取りの過程があまりにも型どおり過ぎて、正直書くことがあまりないのだが、この映画はかなり惜しい要素を持っている。

物語は裕福な家庭に育った地味な文学少女のシルビーと、貧しい家庭で育ったブロンドのアイヴィが友人になるが、ちょっとしたキッカケからシルビーの豪邸に通うようになったアイヴィが徐々に一家を侵食していく、というもの(図1)。

図1:おっさんを誘惑するアイヴィ『ボディヒート』

乗っ取りの過程はサスペンスとしての不安要素や演出が特に優れているわけでもないので「どこかで観た話だな」としか思わないのだが、実は地味な少女のシルビーがかなり良い味を“出しかけている”。

この映画には、ブロンドのアイヴィが男と楽しそうに話す様子を窓ガラス越しに見るシルビーが「私は人生を窓越しに眺めているようだ」とつぶやくなど、「おやっ」と思わせる瞬間がいくつもある。裕福ながら他人の気を引くために虚言癖っぽくなっているシルビーや、彼女と向かい合わせの存在としてのアイヴィとの対照(図2)。

図2:一人だけ文学路線を突き進むシルビー(左)(『ボディヒート』)

こういった部分には単なるエロ・サスに留まらない叙情が感じられるのだが、残念ながら映画はそういった部分を中途半端なまま置き去りにして、おっさんと金髪美女の昼ドラ的官能展開に突っ走ってしまう。シルビーが出しかけていた少女としての成長や葛藤は描ききれず、エロオヤジのパコパコに回収されてしまうのは大変遺憾である。

もしかしたら監督や脚本は、エロ・サスという題材の制限の中で文学的なものを描きたかったのかもしれないが、結局エロの要求に屈して尻すぼみになってしまった作品という感じがする。満足度:5/10

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投稿日時: 2020/01/18 ― 最終更新: 2020/05/18
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