『タクシー・ドライバー』 / 不器用な男の破滅のラブレター

『タクシー・ドライバー』日本版ポスター

『タクシー・ドライバー』はどんな映画か

私の理解では「『タクシー・ドライバー』とは青春映画である」ということになっている。これについて「サエないタクシー運転手が政治家や売春宿を襲撃する作品のどこが青春映画だ」と反論を受けるだろうが、それがまさに青春映画たる所以なのである。

この映画の構造を読み解くと、結局のところ話は「女心を理解できない男がデートで“やらかして”しまい、女に振られる」というパターンが2度繰り返され、行き詰まった結果「俺を認めさせてやる」と過激な行動に走る……という、極めて“素朴”なものだということが分かる。つまり異性を巡る青臭さと背伸び、それによって訪れる恋愛の破綻というのが、過激な描写の裏にあるトラヴィスの行動原理の全てであって、これはまさしく「遅れてやってきた青春」ではないか(図1)。

トラヴィスとベッツィの初デート
図1:ベッツィとカフェでデートするトラビス(『タクシー・ドライバー』)

この映画は、恋人をうっかり自分のハマってる卑猥な映画に誘ってしまったり、変に良識人ぶって売春婦にその底を見透かされる“痛々しい”男性描写が妙にリアルであり、それらの失敗を取り返すために、女性から見れば意味不明なテロリズムで自分の雄性を主張しようとする、男の一方通行的なラブコールが、世の映画好き男性にシンパシーをもたらすのだ(そう、信じがたいことだが、あの襲撃こそはトラヴィスの屈折したラブレターなのである)。

恋人を賭けた“決闘”としてのテロリズム

危険な夜の街を延々とタクシーで移動する孤独、社会からの疎外感といったものは、主人公・トラヴィス(ロバート・デ・ニーロ)を次第に自意識過剰にしていく。そして恋愛に失敗した彼は、過剰な自尊心の防衛に走り、「社会的に重要な政治家の襲撃」「社会のダニの抹殺」という、一見相反する2つの「正義と悪」をもたらすのだ(図2)。

モヒカン刈りにしてパランタインを襲撃しにいくトラヴィス
図2:モヒカン刈りにして過激なテロリズムに走るトラビス(『タクシー・ドライバー』)

なぜ相反しているかと言えば、彼の目的は正義にも悪にもなく、ただただ「俺は凄いんだ。俺を男として認めろ」という自意識の放射を行っているに過ぎないからである。そして殺害対象になる男たちは、いずれも「自分を認めない女が権力を感じている男性」なのだ(政治家のパランタインとポン引きのスポーツ)。

パランタインは自由主義の象徴だが、トラビスは主義など気にする男ではない。彼は自分の能力を知らしめて、事態を変える必要がある。たとえそれが全く関心のない政治家に絡むことでもね。彼は立候補者に危害を加えられないので「スポーツを殺そう」と考えを変えるんだ。

脚本家ポール・シュレイダー
『タクシー・ドライバー』コメンタリーより

トラヴィスと二人の女たち、ベッツィとアイリス(ジョディ・フォスター)の会話シーンを見てみよう。なぜトラヴィスは過剰なほど、女たちの身近にいる男性をけなすのだろうか?(図3)それは彼らが三角関係にあるからだ。脚本家のポール・シュレイダーは、最後に「ライバル」たちの殺害に走る様子を「対決」と表現する。

トラヴィスがアイリスを朝食に誘って諭すシーン
図3:アイリスの恋人を「最低の人間」と呼ぶトラヴィス。ベッツィの同僚もけなしている。(『タクシー・ドライバー』)

彼が出会うのは望んでも手の届かない女性と、手を出せても求めてはいけない女性だ。そして彼女たちが慕う男を消そうとする。…彼は2人の男に対決を挑む。

脚本家ポール・シュレイダー
『タクシー・ドライバー』コメンタリーより

孤独な男の恋愛悲劇

実はこの、強引に自分の「男らしさ」を発揮して異性に自分を認めさせようとするトラヴィスの歪みは、同じスコセッシ監督の『キング・オブ・コメディ』(’83)でも変奏される。あの映画のラストで、ルパートが誇らしげに自分の「犯罪成果」を元恋人に披露する姿は、有名人を襲ったトラヴィスと行動原理が近い。

このように本作は一見過激で、暴力問題を扱っている社会派の映画ように見えながら、実は物語としては、孤独に苦しむ男の、極めて個人的な恋愛悲劇に過ぎない。出来事が重大事件に繋がっていくのは、結果として「たまたまそういうターゲットがいた」からである。『タクシー・ドライバー』は、恋愛下手の男性が孤独に悩み、異性を求め、しかしその洗練の足りなさゆえに破綻して自殺願望・破壊衝動を増大させていく、孤独人の内側を描いた心理学である(図4)。

「俺に言ってるのか?」
図4:鏡の前で何度も同じ台詞や動作を練習するトラヴィス(『タクシー・ドライバー』)

従って『タクシー・ドライバー』のテーマを、同じアメリカン・ニューシネマの『ダーティハリー』(’71)になぞらえて「自警主義の暴走」としたり、「抑圧された若者の社会への反逆」に求めたりするのは、トラヴィスの行動を表面的にトレースした分析に過ぎない、ということになる。彼には政治思想も自警意識もない。ただ社会全体の病んだ空気が、トラヴィスの行動を異常に過激化させている点は事実である。

最後になるが、この作品はメインテーマのジャズの響きや、主人公が運転するタクシーの窓に浮かび上がる、ボンヤリとしたニューヨークの風景などが、実に美しい。停車するタクシーのショットや、故意にコマを複製したショットなど、芸術的で甘美であり、映像作品としても完成度が高い。評価:9/10

見所

  • ベッツィをデートでポルノ映画に連れて行くダメ男トラヴィス
  • 12歳のアイリスをストーカーして運命を感じるロリコン野郎トラヴィス
  • “You talkin’ to me?”

関連作品の紹介

同じスコセッシ監督の『キング・オブ・コメディ』は、妄想癖の男がスターにストーカーをする作品で、本作と双璧を成す彼の代表作である。両作品から強い影響を受けて作られた『ジョーカー』(’19)と合わせてチェックしたい。

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投稿日時: 2020/02/09 ― 最終更新: 2020/02/13
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