作品のすべてのピースに、物語の本筋に参加する義務なんてないのである。『悪魔のような女』は2人の女性が共謀して男を殺すサスペンス映画であるが、後から振り返ると「で、結局あれはまるで関係なかったのね」としか言えないパートが色々と出てくる。

死体を運搬している最中や、死体の処分に際し「あっ、この流れだと……」というヤバいシーンが何度も出てくるのだが、犯人に感情移入している観客が一方的に不安にさせられるだけで、結局何でもなかったというシーンが多い(図1)。

図1:『悪魔のような女』1955年

現代の作家だと、そういったピースが最後にすべてピタリと収まるお利口な筋書きにしがちで、そういう作品は「ふふん、綺麗に繋がったでしょう?」という脚本家の荒ぶる鼻息があたかもエンドロールの壮大なBGMに乗って劇場に吹き荒れているかのようであり、さっさとトイレまで退散せざるを得ない。

あらゆる演出に筋書き上の必然性を要求し、物語に決着をつけたがるのは、全てに合理的説明を求める人間の病みたいなものである。

サスペンス作家はいじめ抜く

そこに来てクルーゾーやヒッチコック流のサスペンスとなると、そんな観客の要求などまるで無視して、平気で演出を投げっぱなしにしてくる。投げっぱなしだから、観客は最後まで「あれがここに来て効いてくるのではないか」と疑念が抜けない。最終的に、結末に繋がる要素として再浮上する伏線もあれば「通行人Aの気まぐれ」として物語の沼に沈んだまま沈没するものもある(図2)。このフェイクの混じりの演出が観客を引っ張る。

図2:『悪魔のような女』1955年

これは例えばスピルバーグの『激突!』(’71)で犯人が明かされない演出などにも受け継がれている。「観客を安心させるな」というのがサスペンスの鉄則で、人は説明が与えられると安心して興味を失ってしまうからだ。

そういう点で、彼ら監督の美点は「観客をいじめ抜ける」というサディスティックな面にある。誰しも自分を慕ってくれる相手は安心させてやりたいのだが、それでも鬼の顔でいじめ抜ける点に、彼らの監督としての天分があるのだ。相手に逐一説明を与えて安心させてやる「良い人」は、観客には「なぁんだ」と飽きられ、恋人には「この人は何でも言うことを聞くわ」と見くびられて浮気され、「良い人」として消費されるのが世の常なのである。

『悪魔のような女』は、最初から最後までずっとハラハラさせられる上質のサスペンスであり、まるでトイレで「出る!」「いや、出ない……」のループで2時間閉じ込められたような気分になる。つまりクルーゾー監督は、とんでもないサディストなのである。

なお邦題が『悪魔のような女』と単数形になっているが、意図せぬ深読みというかミスリードを誘う可能性がある。原題のLes Diaboliquesというのは複数形で『悪魔のような者たち』とでも訳すのが、より正確な解釈となる。このタイトルが結構味わい深いので、頭に入れて観たい。

ブルーレイ日本盤 レビュー

『悪魔のような女』株式会社アイ・ヴィー・シー

映像:AVC / 35mmネガフィルム / 1.33:1
音声:LPCM 2.0ch
言語:音声はフランス語、字幕は日本語のみ
備考:1層 25GB / 117分

4Kリマスターによる日本語盤。「アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督傑作選Blu-ray BOX」に収録されていた3本のうち1本として、状態良好の中古品として1本およそ1,300円で入手。

『恐怖の報酬』と同じく、白黒映画としてはかなり質の高い映像で、フィルムの粒子感はあるがシャキシャキした映像である。ただし品質のバラつきは『恐怖の報酬』より若干大きい印象で、解像感が悪い場面も散見される。特に場面がクロスフェードする部分では、フェードの直前にガクッと品質が落ちる場面がいくつかある。

BOX収録されている他の2作品と違い、本作は2時間を切っているためか、1層ディスクとなる。このためビットレートがやや低めなのが残念と言えば残念。ただ全体的には満足の行く出来である。

本品もリーフレットによるミニポスターと解説文付き

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投稿日時: 2019/10/14
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