このサイトに載っているような理屈っぽい文章を読んでいる人には分かってもらえると思うのだが、私にとってA級タイトルの鑑賞というのは、1つの対決なのである。

つまり「xxxx監督の4年ぶりの新作!」と聞いて、700円の追加料金を支払ってIMAX 4Kレーザーでわざわざ鑑賞し「なるほどなるほど、そういう映画でしたか……」と一人黙想。一緒に観た人から「どうだった?」と帰り道に聞かれて「あの映画の中核にあるのは“許し”だよね」などとつぶやき「こいつ何言ってるんだ?」みたいな顔をされる。

ここまで鬱陶しい態度で作品に接する人は少ないにしても、20年30年と様々な作品に接してきた人には、確固とした評価軸を持ち、大作に接する際には少なからぬ緊張感を抱く人も多いのではないだろうか。やはり大作を大作として無邪気に接することのできる期間は限られているのである。

B級作品は、このような緊張を鑑賞者に強いないのが最大の美点だと思っている。B級作品は最初から過剰な期待をせずに気軽に接するから、ある意味、お小遣いを握りしめて劇場の入口をくぐっていた時のような気持ちで、純粋に作品そのもに接することができるのだ。

B級作品は映画好きの義務としてではなく、純粋な選択の結果として自発的に観に行く意識が極めて強いので、映画館へ運ぶ足に自由を感じる。実は有名作品を観に行くというのは、少なからず社会的な行為なのだ。一方でB級映画を観る時、映画人は自由でいられる。

そもそもB級作品というのはB級ゆえに事前情報を得難い。よってフラットな状態で接することができる。

B級の醍醐味として私が思い出すのは、街のうらびれたレンタルビデオ屋にある得体の知れない作品を、何の前提知識もなく直感で選び出すときのスリルである。レンタルストアの奥のコーナーにひっそりと佇む、日に焼けたVHSパッケージ。淫びなタイトル。壁面との距離50cmに漂うカビの臭気。勇気を出してレジに運んだときの、アルバイトの兄ちゃんの「ボウズ、おまえマジでこれ借りんのか?」って顔。

大予算を費やしたA級映画を観るのは、例えて言えばプロの漫才師が漫才やるのを観るようなもの。「笑わせてみろ!」という気持ちでいる観客を笑わせるには、よほどの完成度が必要だろう。一方でB級映画の鑑賞というのは、友人との何気ない会話の中で笑わせるようなもの。構えてないし、批評性が介在しないから、純粋に笑いの中に入っていける。くだらなくたって構わない。

それと同じでB級映画を好んで観る時、人の心は開放されている。どんな偏狭なマニアも、多かれ少なかれ寛容になれるのだ。

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投稿日時: 2019/10/07
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