『ファイトクラブ』ポスター、20世紀フォックス

私が『ファイトクラブ』をなぜこんなにも好きかというと、この映画は非合理を全面的に肯定しているからなのである。

非合理、つまり「まともな思考を持った大人」たちが「そんなの“意味ない”でしょ」「そんなことしたら“損”じゃないか」と言うようなことを「それが素晴らしいんだ。それが全てなんだ」と肯定する映画。それは資本主義社会の価値観の否定であり、同時に現代人が抱える空虚さの解剖でもある。

映画はエドワード・ノートン演じる主人公「僕」の一人称で語られる。要するにこの映画の主役は「毎日を退屈に過ごしている観客のあなた」という設定。

図1:『ファイトクラブ』20世紀フォックス, 1999年

「僕」は物質的には裕福で、マンションの高層階で北欧家具に囲まれた生活を送っているのに不眠症である(図1)。何故なら主人公の趣味嗜好というものが、結局のところ世間が「素晴らしい」「かっこいい」と呼ぶもののトレースに過ぎないからだ。

この場合だと「北欧家具の収集」がそれである。家具カタログを毎日眺めながら過ごす「僕」は、雑誌に載っているような美しい家具に囲まれてスタイリッシュな毎日を過ごす日々を夢想する。そうして、自分の身の回りの全ての家具がオシャレなものに置き換えられ、その部屋でゆっくりコーヒーでも淹れて、テレビドラマみたいにシュッとスーツを着て出社する生活が実現すれば「充実した生」が到来すると思い込んでいる。

ところがそうした「僕」の願望や夢は、結局のところ他人に刷り込まれたものに過ぎない。「僕」の正体は実は、テレビ画面で二枚目俳優が演じる生活や、CMで流れる「優雅なひととき」のコピーを目指して働く、メディアの操り人形、資本主義社会の奴隷である(図2)。

図2:『ファイトクラブ』

「僕」の脳には知らぬ間に、家具メーカーやスーツブランドから「こういう家具やスーツに囲まれて毎日を過ごすのが『成功』なんですよ」というイメージを植え付けられており、自分でもそうだと信じて「成功モデルの模造」を目指す。これは最近で言うと、みんながSNSで「スタバで仕事しているオシャレな私」をシェアするのと同じである。そうして「見て見て。私ってこんなにクールで成功した人生を送ってるんです」と主張し、他人に認められることを通して自己肯定感を得ようとする。

ところがそういったものは、「僕」の本来の願望ではない。「僕」が求めるものはもっと他にあり、それは実は「生を実感できる瞬間」だったのである。その本来の願望が充足されていれば、本当は金銭的な報酬すらいらなかった。

ところが主人公はその本来の願望に気づけないからこそ、不眠症なのである。何故気づけないのかと言えば、資本主義社会において「生の実感」というものは数値に換算できないからである。

この社会においてはひたすら「足し算」のみが評価される。資産が増えれば「成功」。知名度が上がれば「成功」。そうやって欲望を無限加算して発展を続けるのが資本主義社会である。そこから見れば、不眠症に悩んだ「僕」がとった「病気でもないのに末期癌の自助グループをわたり歩く」などという行為は、単に時間を捨てる「引き算」であり、意味不明な思考のエラーに過ぎない。そして我々はそのようなエラーを起こしている人間を「気が狂ってる」と形容するのである。

主人公はまさに資本主義社会の限界がもたらした産物で、不眠症はその機能不全状態の症状として現れ、狂人への道をひた走るその姿は社会構造の崩壊を予感させる。

図3:『ファイトクラブ』

とは言え、「僕」は末期癌に冒された人たちの真摯な訴えや絶望の叫びを聞いて「自分は生きているんだ」と感じられ、一時的に不眠症が治る(図3)。が、自分と同じ目的で通う偽物、マーラ・シンガーの中に自己の薄汚さを発見してしまい、再び不眠症に陥ってしまう。

最終的に主人公を救うのは、あらゆる俗な願望から解放されたカリスマ自由人、タイラー・ダーデン(ブラッド・ピット)だった。タイラーは、合理的思考をする「僕」の対極にある道化として描かれ、資本主義社会の「合理」を、その救い難い病理をあざ笑う。次の台詞は、飛行機内で「賢く生きている」主人公に対して彼が放った台詞である。

“Oh, I get it. It’s very clever.”
“Thank you.”
“How’s that working out for you?”

「なるほど、『賢い』んだな」
「ありがとう」
「で、『賢い』のが何の役に立つんだ?」

『ファイトクラブ』

ここで言う「賢い」とは「足し算が得意」という意味であり、また「バカ」と同義でもある。非合理の申し子であるタイラーは、「足し算」思考に支配された主人公の愚かさを看破する。同時に、映画は観客に問いかけている。「要領の良い生き方」が、あなたを本当に幸福にしてくれてますか?と。

また家具に執着する主人公に対しても、次のような言葉を残す。

“Things you own end up owning you.”
(おまえが支配するモノが、最終的にはおまえを支配するぞ。)

『ファイトクラブ』

タイラーは格言の生き字引のような存在なので、引用しているとそれだけで原稿が埋まってしまう。

そして二人で酒を飲んだ後、タイラーが「僕」に言う「一つ頼みがある。オレを殴ってくれ」こそは、主人公の不眠症を治療する魔法の薬、資本主義のエラーを修復する究極のプログラムであった(図4)。

「オレを殴れ」は、全くの「引き算」のリクエストである。自分が殴られるだけなんて意味が分からない。それをタイラーは「ケンカしたことがないし、何か楽しそうだったから」頼んできた。殴られたタイラーも「僕」を殴る。二人は笑いが止まらず「僕を殴れ!」「オレを殴れ!」と叫びながらストリートファイトを始める。

図4:『ファイトクラブ』

「僕」は気付いたのである。本当は家具もマンションもいらず、ただ肉体という自分そのものの存在をぶつけて、生を実感できれば充実しているのだと。二人が笑いながらファイトするのは、泥だらけの子供が本当に楽しそうに笑っているのと変わらない。人間はそもそもが非合理な存在で、合理などというものは頭で考え出したフィクションだ。合理はいつも仏頂面で、非合理は笑い転げている。歌にもあるだろう。「生きているから笑うんだ」と。

こうしてファイトを楽しみ出した二人の下に、次第に同好の男たちが集まってきて、地下組織「ファイトクラブ」が結成される。最初の頃は「他人にケンカを売って、わざと敗ける」など非合理な遊びを繰り返す爆笑パートが続くのだが、次第に暴走を始め、主人公は暴走を止めるべくひた走る……。

最後のどんでん返し、911テロによる資本主義社会の崩壊を予言したラスト。エンターテイメント性においても、メッセージ性においても、世紀末に現れた本当に良く出来た傑作である。

映画の記事一覧

LINEで送る
Pocket

投稿日時: 2019/08/16 ― 最終更新: 2019/10/06
同じテーマの記事を探す