『グリーンブック』劇場公開ポスター

バイリンガルやハーフとして、2つの文化の影響を色濃く受けながら育った人間の中には、独特のアイデンティティの危機が訪れることがあるという。例えばある子供がアメリカで生まれ育ち、その両親が日本人だったとすると、その子供はアメリカでは日本人っぽいと言われ、日本に行くと逆にアメリカ人っぽい、と言われやすい。その人の容姿、価値観、言語、文化が複雑なまだら模様を描き、それぞれの文化で「外国人」のようになってしまい、帰属先を喪失してしまうというのだ。

『グリーンブック』は、白人と黒人のコンビがアメリカを横断していくロードムービーである(図1)。ただ黒人男性であるシャーリーは静かな知性を持つピアニストであり、黒人差別のジム・クロウ法が残る1962年のアメリカ南部を旅しながらコンサートツアーを行う中で、上に挙げたのと同種のアイデンティティ・クライシスを経験する。

図1:「グリーンブック」とは、黒人向けの旅行ガイドのこと(『グリーンブック』2018年)

つまり彼は(低所得者が多い)黒人でありながら白人以上の品性を持っているから、黒人たちのコミュニティにあっても「妙に気取ったやつ」「お高くとまったやつ」として仲間に入ることはできないし、無理やり話したとしても会話が弾むはずがない。一方で白人のコミュニティの中でも、彼は被差別者であり劣った存在と見なされるから、やはり打ち解けることは困難である。

『グリーンブック』は、このようなアイデンティティの危機に直面する黒人のシャーリーに、白人で楽観思考のトニーが用心棒兼ドライバーとして雇われ、旅を続ける中で対照的な二人の性質が徐々に融合していく様を描く。同じく白人・黒人コンビの相互理解の深まりを描くフランス映画『最強のふたり』(’11)と比較して語られることが多いが、黒人と白人の立場が「ねじれ」の関係にあることが特徴である(図2)。

図2:高名なピアニストでありながら、会場でも差別されるシャーリー (『グリーンブック』2018年)

黒人シャーリーが持つ「ねじれ」は、白人社会が黒人を差別することの非正当性、有色人種というだけで劣った存在と見做す白人たちの矮小さを浮き彫りにする。シャーリーは、彼のピアノが放つ「教養」の空気に群がる白人たちより、明らかに教養が深く品性も高い。しかしその彼がピアノの席を立った途端に、白人男性はこう告げるのだ。「あなたは黒人だから、外のあの汚いトイレで用を足しなさい」

白人の黒人差別は「やつらは教養も作法もない下層民だから」という「正当化」によってカヴァーされている面がある。ところがシャーリーにはこれが通じない。それでも彼に対して差別的な態度を平然と取る白人の姿は、傲慢というより滑稽にすら映り、小さい子供が大人に対して説教をしているかのような違和感を持つ。その異様の光景に、観客はこの差別の理不尽さを見て取るのである。

監督は『メリーに首ったけ』(’98)などのコメディで知られるピーター・ファレリー。そんな彼が急に社会派な感じの映画を撮ったら、にわかに賞を取りまくった。この映画は全体にユーモアは漂うが、コメディではない。その人が何を秘めているかは年をとっても分からないものである。

UHD BD 北米盤 レビュー

映像:HEVC / 3.4K撮影、2Kマスター / 2.00:1
音声:Dolby Atmos
言語:日本語字幕なし / 英語難度は低~中
備考:130分

送料込みで3,000円ほどで購入。

ネイティブ 4Kではなくアップスケールだが、全体としてS/N比に優れた美しい画作りである。特に雨の中で警官に車を止められ、フラッシュライトに照らされながら会話するシーンではその美しさが光る。映像的にも音響的にも派手さはないものの、堅実に作られた上質のディスク。

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投稿日時: 2019/06/28 ― 最終更新: 2019/10/10
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