『ナポレオン・ダイナマイト』ポスター

カルト映画の、ある意味では「模範」。つまりインディーズの超低予算映画であり、一見して冴えないオタク学生が無意味に空転し続けるだけの意味不明な物語に見えながらも、一部に熱狂的なファンを持つ。

「綿密なプロットにより描写される、オタク青年の葛藤と成長」そんな共感への期待は、主人公ナポレオンがスクールバスの中からフィギュアを車外に放り投げ、紐で引きずり回す謎の遊びを始める冒頭で早くも解体され、クラスメイトに日本のネッシーについての怪しげな情報を吹聴する次の場面にて、ナポレオンが観客にとっても共感・理解がし難い「異邦人」であることは、もはや退っ引きならない事実であるように思われる(図1)。主人公への感情移入の拒絶。ありふれた「話せば面白いヤツ」像の粉塵爆砕。

図1:『ナポレオン・ダイナマイト』

『ナポレオン・ダイナマイト』は筋らしい筋を持たない。一応最後の生徒会選挙が映画のクライマックスとはなるが、ナポレオンは終始一貫してただの空気が読めないナードに過ぎないし、別にガールフレンドもできないし、彼の精神的成長や人生の課題の解決が描かれるわけでもない(そもそもナポレオンの人生には最初から大した問題はない)。

本作はあたかも、ジャレッド・ヘス監督がノートに書き殴ったナンセンス・コメディの連作のような作りで、ナポレオンと仲間たちの、その空気の読めなさ故の周囲とのズレが生み出す滑稽なコントがひたすら描かれ、1つ1つの「無意味な空転」「どこへも行かないストーリー」が繋ぎ合わされて物語らしきものになっている(図2)。言わば監督の落書き帳から発掘されたプロットをごちゃ混ぜにした結果生まれた、スクール・コメディの突然変異。

図2:「ネットで買ったタイムマシン」「バカな」「本物なんだぞ」(『ナポレオン・ダイナマイト』)

主人公らは皆、自らの行為の持つ社会的な意味や、周囲からの批判に対して無頓着であり、だから相手が食べ残したおかずを「それちょうだい」と言って全部ポケットに突っ込んで授業中に食べたり、転校生なのに平気で生徒会長に立候補したりする。青春は痙攣と放屁を繰り返し、大半の試みは盛大に滑って転倒を起こす。が、そんな空気を読まない行為の連発の末にもたらされる最後のクーデターは、一種の政治的事故であり、スクールカーストの頂点に立つチアガール政権が未曾有の大災害に吹き飛ばされて物語は幕を閉じる。そういったオタクによる無自覚故の「暴挙」の連続が非常にシュールな空気を生み出しており、また同時に懐かしくもある(誰しも多かれ少なかれ、子供の頃はそういった暴挙を冒すものである、図3)。

図3:「ステキな絵をありがとう」「上唇の曲線に3時間かけたんだ」 (『ナポレオン・ダイナマイト』)

アメリカのスクールカーストは非常に記号的・図式的に分かりやすく描かれており、ナポレオンらナード組は常にカースト上位層から理不尽な暴力を浴びる。しかし例外的なのは、ナポレオンはそのあまりの空気の読めなさ故にカーストを超越した存在であることだ。彼は暴力を受ければ「最低のバカタレめ」と文句を吐くし、時にはカースト上位者に堂々と宣戦布告をしたりもする。カーストの世界観において、ナポレオンは無自覚なアナーキストであるから、彼の支配者たちへの暴走的な反撃がその他大勢のカースト下位層たちの共感を呼び、カタルシスを生み出す。

ジャレッド・ヘス監督のシュールで芸術主義的な作家性が存分に発揮された作品であるが、それ以上にナポレオンを演じるジョン・ヘダーの怪演が、作品全体に異様なカルトめいた空気を吹き込んでいる。ナポレオンの、常に目を閉じた爬虫類のような顔から繰り出される”Gosh!”の叫びの中毒性!ジョン・ヘダー無くしてこのデタラメな傑作はあり得ない。実際、これ以降のジャレッド・ヘス作品で『ナポレオン・ダイナマイト』のような輝きは再現されていないと言える(『ナチョ・リブレ 覆面の神様』(’06)はジャック・ブラックのカラーが濃厚すぎるし、『Mr. ゴールデンボール』(’09)はシュールさはあるが主役のパンチに欠ける)。本作は、主役と監督の天分が見事に噛み合った極めて幸福な作品である。

なおこの作品、日本上陸直後は『バス男』という、『電車男』にあやかっただけの無関係なクソ邦題を授けられたのだが、後に公式謝罪と共に『ナポレオン・ダイナマイト』に改題されている。20世紀FOXのタイトル変更は実に『スター・ウォーズ ジェダイの帰還』(’83)以来という快挙であり、このカルト映画にまた新たな伝説が加わってしまったわけだ。『ナポレオン・ダイナマイト』と『スター・ウォーズ』が並べられる日が来ようとは。

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投稿日時: 2019/06/16
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