投稿日時:2018/09/19 ― 最終更新:2019/06/23

極めて完成度の高いサスペンス映画である。

映画が始まってわずか10秒、無数の謎が観客に降り注ぐ。ここはどこだ?佇むこの男は誰だ?何故立方体の中にいるんだ?他の部屋はどうなっているんだ?始まりから終わりまで、無駄なシーンなど1秒たりとてない。謎の解明と新たな疑問の発生が絶えず繰り広げられ、生存に必要なリソースは徐々に消耗され、物語が明確に終点へと収斂していく。

映画はスキンヘッドの男性が目覚めるところから始まる(図1)。彼が主人公かと思っていると、隣室の立方体へ移動した途端にワイヤートラップで細切れにされていきなり死んでしまう。これが『キューブ』における唯一の「状況説明」であり「配慮」であると同時に、観客への「宣戦布告」となる。

図1:『CUBE キューブ』 ポニーキャニオン,1999年

『ソウ』などのシチュエーション・スリラー・ブームの先駆け的存在で、囚われた者たちは「ルールは何なのか」「そもそも脱出可能なのか」といった「ゲームの前提」から解明を始めなければならず、ゲームの異常な難易度と、突き放された絶望感を演出している。

登場する6人はそれぞれが固有の特技を備えた“ジョブ”の具象化された存在であり、ステレオタイプ的な描かれ方で、固有のキャラクター性は捨象されている。例えば“警官”のジョブの具象的存在であるクエンティンは、高い身体能力と統率力を持つ「警官的能力と定型的性格を備えた男」を体現するキャラクターだが、彼に固有のバックグランドはほとんど何も語られない。ここでは「警官っぽい人」がいれば十分なのである。『キューブ』の世界観はプレーンであり、この空間全体がサスペンスを生成する装置であり、キャラクターはシーンを生み出す変数に過ぎない。この手法は、固有のキャラクター性を掘り下げてドラマを演出する一般の映画の対角に位置する。「各々のジョブの特性を利用していかに脱出するか」にフォーカスした謎解きはビデオゲームライクで、ロジックへの挑戦を描く純然たるエンターテイメントと表現してもいい。

劇中の人物たちと観客を常に覆っているのは、物語の「終焉の予感」である。何しろ閉鎖空間に囚われた6人には、物資の供給が一切ない。水の一滴すら与えられないので、これが確実に「終わる物語」であることを強烈に主張している。「終わる」というのは映画の尺が終わるという意味ではなく、「登場人物の全滅」か「キューブ側の敗北」のどちらかが不可避という意味である。この緊張感と疾走感が、90分をあっという間に感じさせる。

『キューブ』を洒落た作品にしているのは、全体に漂う数学の香りだろう。幾何学的なアートや「素数」「デカルト座標」などのキーワードが踊るペダントリーな謎解きは、ストーリーの構成要素として十分面白く、同時に低予算で制作された本作を洗練された作品に仕立てている。この作品はオススメである。

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