『日の名残り』(’93) / 明るさは滅びの輝き

図1:『日の名残り』ポスター

アンソニー・ホプキンスの演技が光る名作。

一般的に日本やイギリスのような島国ではハイコンテクストな文化が醸成されやすい。部外者がやってこず島民は皆「身内」みたいなものだし、文化的にも統一性があるので前提が共有されている。意図が通じるなら遠回しな言い方の方がトラブルが避けられるから、同じ英語でもイギリスの一部の地域では、メチャクチャ婉曲な表現が好まれたりする。逆に様々な民族が行き交う大陸では文化の異なる人々が交流するから、ローコンテクストで直截なやり取りでないと不都合が生じる。だから大陸の人間は想い人に”I love you!”と叫び、日本人は「月が綺麗ですね」と囁くのだ。

もどかしさの中に現れる人の機微

世界大戦と共に斜陽化するイギリスの上流階級の生活を描いた、カズオ・イシグロ原作の『日の名残り』を映画化した本作では、名家の執事を務める主人公を中心として、様々な人間模様が描かれる。そしてそのどれもが、実に「もどかしい」のである。仕事上の立場では下だが上司の父親でもある男をどう扱うか、引退を認めずミスを繰り返す老執事の父親と主人公の関係(図2)、自分の主人の政治的な迷走、そして屋敷で働く女性との恋。

図2:配置変更を父親に言い渡す主人公

本作の中心的なテーマは、人間という複雑な存在の機微である。教養があり、あらゆるなことに細やかな配慮を行き渡らせる主人公の執事は、決して屋敷で起こる問題についてストレートな感情や意見の表明をしない。人間同士の力関係や社会的関係に配慮した上で、できるだけ波風を立てないように対処するが、それが同時に実にもどかしい。この作品は「慮る」ことを通じて、そうした人間関係の複雑さを表現している

恐らく私が10代のときに観ても、この作品は面白いとは感じなかっただろうと思う。昔の私は人間関係に無頓着だったし、意思疎通はできるだけストレートに行うべきだという考えを持っていた。この作品は人間関係の板挟みや、立場により振る舞いを変えなければならない人間社会のややこしさを理解することによって味わいが増す映画で、社会的な動物である人間の本質を浮き彫りにするものである。そういったややこしさは、実はストレートに感情を表現しているつもりの人でも決して逃れられるものではなく、表面的な振る舞いに関係なく、人間がいかにしがらみに囚われているかを痛感する。

「夕暮れが、一日で一番いい時間だと言いますわ」

シュペングラーは第一次大戦中に『西洋の没落』(’18)を発表し、栄華を誇ったヨーロッパ文明の衰退を予言した。本作では舞台となる名家をヨーロッパの縮図として、年功序列的な貴族趣味の西洋社会がナチスとの交渉(イギリスの宥和政策)に失敗し、代わって若き大国アメリカが主導権を握る様を描いている。屋敷に集まった大物たちを相手に、アメリカからやってきた人物が引導を渡す描写は、まさに世界情勢の擬人化と言えよう(図3)。

図3:ヨーロッパの老人たちを批判する若きアメリカ人(『日の名残り』)

『日の名残り』で最も大きなストーリーは、主人公と女中の恋である。「堅物」である主人公は自分の想いを打ち明けられない。それに対する女中の倒錯的な拒絶反応。しかし主人公は後に回想する。あの時代が一番良い時代だったと(図4)。変わりゆく時代、斜陽化する西洋、その夕暮れ時のわずかな輝き――

太宰治は『右大臣実朝』の中で「平家は明るい。明るさは滅びの姿であろうか、人も家も、暗いうちはまだ滅亡せぬ」という言葉を残した。輝きは滅びの前兆である。眩さはいつまでも続かない。過ぎ去っていった時間にとてつもない郷愁を感じる。

図4:夕暮れの美しさを語るかつての女中(『日の名残り』)

「電気がつくといつも この騒ぎ」
「なぜです?」
「夕暮れが、一日で一番いい時間だと言いますわ」

『日の名残り』

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投稿日時: 2019/05/06 ― 最終更新: 2019/05/09
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