『フォレスト・ガンプ/一期一会』(’94) / 愚かさと賢さは表裏一体

図1:『フォレスト・ガンプ/一期一会』劇場版ポスター

高校の英語のテキストとして『フォレスト・ガンプ』のペーパーバックを読んだ。おぼろげな記憶を辿ると、映画版とは内容がかなり異なっていたはずである。小説版のフォレストはハーモニカを吹いているイメージがあるが、それは映画には出てこない。しかし記憶に残っているのは圧倒的に映画版の方である。

この映画から受けた感銘を一言で表せば「偉大なる愚直」になる。

フォレスト・ガンプはIQ75の青年で(実際の造型としてはアスペルガーに近い)、小さい頃から周囲にバカにされて育ってきた。しかしいじめっ子から逃げるときに、幼馴染のジェニーが叫んだ言葉――「走って!フォレスト、走って!」が、彼の何かを目覚めさせ、猛烈なスピードでいじめっ子を置き去りにする。以降、彼はひたすら走り続けるようになり、あまりの速さに大学のアメフトチームに勧誘され大活躍を見せる(図2)。

図2:アメフトコートに迷い込んでも走り続けるフォレスト(『フォレスト・ガンプ』)

論理を超えた打ち込みが常識を超える

フォレストはその後も、目の前に現れた「人生の課題」に対し、ひたぶるに「反復」する。それはもう、マシーンのように愚直に反復する。知能が遅れている彼は、恐らくあらゆることに対し、決して器用ではない。しかし諦めや飽きを知らない恐るべき反復が、彼をある時は超人的な兵士に、またある時は最強の卓球プレイヤーへと変貌させる。我々はここに、彼の偉大なる愚直さを見るのである。

人は誰しも「賢く」あらんとする。だから未来を予測し、必要な労力を計算し、頭の中でそろばんを弾いては勝手に失望し、今その場での努力すら放棄する――「それには3年はかかる」「半年やったのに、上手くならない」「もうダメだ」。しかし向こう見ずな反復マシーンであるフォレストにあるのは、現在だけである。彼は未来に失望しない。ただ一途に、目の前の「現在」に集中し、狂ったように反復する。卓球を始めれば一日中壁に打ち込み続け、マラソンを始めれば3年間も無目的に走り続ける(図3)。結果として、常人が及びもつかない領域にまで到達してしまう。

図3:「バカでもできる」卓球にのめり込むフォレスト(『フォレスト・ガンプ』)

彼の練習には迷いや恐れがない。彼が反復しているとき、それ以外の全ての宇宙が消え去っているかのようである。邪念がないから恐るべき速度で上達する。

フォレストの行動は論理を超越している。だから彼の、あたかも神から重大な使命を授かったかの如く物事に打ち込む姿に、人々は何かを見出し、惹きつけられる。実際、伸ばし放題の髭をたくわえ、大勢の「信者」(人々が勝手についてくる)を従えて走る様子は、まさに聖者である(図4)。

図4:ひたすら走るフォレストを慕い、ついてくる人々(『フォレスト・ガンプ』)

フォレストの愚直さがもたらしたサクセス・ストーリーは、確かにフィクショナルで誇張的である。しかし論理的な行動は予測可能な結果しか生み出さない。人間の頭で考えられるちっぽけな現実を越えようと思ったら、後は愚かになるしかないのだ。『フォレスト・ガンプ』は教訓に満ちた寓話である。「損得勘定を捨て去った愚直さが成功をもたらす」という信念はまた、ジム・キャリーがあらゆる問いかけに「イエス」と答え続けて人生を変える『イエスマン』(’08)も思い起こさせる。 愚かさは賢く、賢さは愚かである。

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投稿日時: 2019/05/01 ― 最終更新: 2019/06/10
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