投稿日時:2019/04/30
図1:『シザーハンズ』劇場版ポスター

あなたはどこも悪くないわ
あなたは“ユニーク”なのよ

『シザーハンズ』

パステルカラーの町並み、流れる昔語りのメロディ、平和な住宅地の奥地にひっそりとそびえ立つ館。おとぎ話の世界と現代を結びつけたハイセンスなオープニングから、既にして傑作の雰囲気が漂う「ジョニー・デップ&ティム・バートン」コンビの代表作。

未完成のままの手に、代替品としてハサミを取り付けられた人造人間のエドワード(ジョニー・デップ)は、館に閉じ籠もって育ったが故に純真無垢であり、突然連れ出された社会で類まれな芸術性を発揮する。腕に取り付けられたハサミを華麗に操り、庭という庭の植物を動物や人を模した形に刈り取って評判を呼ぶ(図2)。やがてマダムから引っ張りだこになり、ペットの手入れや美容にまでその芸術性を敷衍するが、この辺りから不穏の空気が漂い始める。

図2:手がハサミであることを活かして芸術性を発揮するエドワード(『シザーハンズ』)

奇人と世間

子供の精神を持った芸術家エドワードは、無垢ゆえに人々に利用され、搾取され始める。造園も美容も無償で喜んで行うが、それに対し家のおじさんは「お礼のクッキーでは車は買えない」と話す。奇人としてTVショーに引っ張られ、無神経な質問を浴びせられた挙げ句、ハプニングでひっくり返れば視聴者はゲラゲラと笑う。

エドワードが資本主義社会で「便利な芸を持った動物」のように見世物になる様子は、サヴァン症候群の人間を周りが面白がって弄り回す様子に似ている。人々はエドワードを最初から見下しているのである。彼らが理解を示すような素振りを見せるのは、物珍しさと、都合よく利益を引き出すために過ぎない。その証拠に、散々もてはやした挙げ句に問題を起こせば「異常者」と呼び、掌を返して排斥し始める。

言うまでもなく、エドワードは「アンバランスな能力を備えた少数派」の象徴として存在し、彼のやってくる町はスモールスケールな「世間」として表象される。エドワードの手はハサミなので、着替えも食事も1人ではまともに行えない。そんな彼に白髪の男性が助言する(図3)。

図3:器用な手を持たない「ハンディキャップ」をどう捉えるか(『シザーハンズ』)

俺も身体が不自由だがどうってことはない。戦争で弾丸が当たって、このとおり義足をつけとる。人に身障者とは呼ばせるなよ。

『シザーハンズ』

手がハサミであることも、全ては捉え方と活用次第である。それによってプラスにもマイナスにもなる。しかしハサミは、本質としてはあくまで何かを斬り裂く道具であり、自然状態では他者を傷つける攻撃性のものである。

凶器の本性を持つ存在は幸福になれるか

凶器としての本性を背負ったエドワードの手は、他者を傷つけずにはいられない様々な利己性のメタファーとして解釈し得るだろう。弱肉を食らう生物の宿命、執着する愛。あるいはそれは、性悪説としての人の心そのものの具現化かもしれない。発見された時のエドワードは拘束衣のような黒服に身を包んでいるが、これは彼が危険のために世間から隔絶された存在であり、あるがままの彼が「凶器=本質的な“悪”」であることを暗示している(図4)。

図4:エドワードの服装の色が、彼の属性を表している(『シザーハンズ』)

優しい婦人によって白いシャツを与えられ、活躍の場を見出した彼は、その手が持つ性質をプラスに転向させた。しかし人々に裏切られてパニックに陥り、白いシャツを破り捨ててしまうと、再びその手が持つ「凶器の本性」が蘇ってしまう。攻撃するつもりはないのに、手が勝手に周囲の人間を切り刻んでしまい、誤解される。

つまり道具でも心でも、無制御の状態では他人だけでなく自分すら傷つけてしまう。肝心なのはそれを制御し、正しい方向に活用することである。

エドワードは物語の途中で、居候先の家の娘、キムに恋をする。手がハサミである彼は、彼女を抱きしめることができるのか。冒頭で述べられる「町に雪が降る」ことの意味……。寓話として、美しいラブロマンスとして、本当に良くできた物語だと感心するばかりである。

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