図1:『ブルーバレンタイン』劇場版ポスター

十代の頃、なぜ結婚生活というものはこうも容易く破綻するのだろうと疑問に思っていた。するとニーチェの『道徳の系譜』に「人間は行動を約束することはできるが、 感情は約束できない」と書いてあり、自分の欲した回答が完璧に言語化されていると感動したものだ。「永遠に君を愛する」という言葉は、感情の約束である。だから破綻する。感情を貯金することも難しい。有り体に言えば、感情は「時価」なのだ。

『ブルーバレンタイン』は、あるカップル(夫婦)の誕生から破綻までを、時系列をザッピングしながら描く失恋映画である(図2)。タイトルとポスターに騙されて初々しいカップルが手繋ぎ劇場へ入ると、鬱展開が手と手の中央分離帯を駆け抜けていき、劇場を出た後には互いに携帯ばかり弄るようになると、もっぱらの評判である。

図2:『ブルーバレンタイン』より

どれほど燃え上がり、永遠のものとしか信じられなかった情熱も、やがてどうしようもない理由で惨めなほど鎮火し、砂にまみれて消える――愛は邯鄲の夢。人の感情の儚さをこれほど克明に描き出した作品も数少ない。

物語の冒頭で、飼い犬が行方不明になっている。この描写が重要に思える。一般的に失恋話では、どちらにより非があったかが議論の的になるものである。この物語ならば、終盤になって狂気じみた醜態を晒す男に非があると、多くの観客が考えるかもしれない。しかし破綻の発火点は、ほとんど制御不能とも言える「飼い犬の失踪」という不条理にあったのだ。そこから連鎖的に全てが狂っていき、軌道修正の試みが、さらなる誤解や不快を生み破綻へ向かっていく(過去にも色々あったのだろうが)。ドキュメンタリーのような映像の質感、中絶シーンもそのまま映す生々しさなど、この映画には奇妙なほどリアリティがあり、フィクションとして頭を通りすぎない。だからこそ観客は自らの体験や現在のパートナーとの関係を、映画に重ねずにはいられない。

結婚生活という点からニーチェの箴言に1つ付け加えるなら「環境もまた約束できない」ということになるだろう。恋愛関係というのは2人の間だけで閉じているわけではない。どのような人間関係も、周囲の環境との関わり合いの中で生じるトータルな現象である。家庭の経済状況、隣人トラブル、子供の学校でのいじめ。これらは全てカップル二人の「個人的な」恋愛関係にまで波及する。漫画家の板垣恵介は、デビュー前の借金時代は夫婦喧嘩が絶えなかったが、マンガが軌道に載ってからは嘘のように関係が改善されたという(自伝『檄!』より)。二人を取り巻く環境のあらゆる不満が、パートナーへの不満に転嫁され得るし、その逆もまたあるのだ。

映画を隣で観ていた友人が「明日の約束もドタキャンする俺たちに、50年後の愛を誓うとか無理じゃね?」と身も蓋もないことを言っていたので、Blu-rayボックスでやつに咎のひっかき傷を残しておいた。

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投稿日時: 2019/04/29
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