投稿日時:2019/04/24
図1:『ブリッジ・オブ・スパイ』ポスター

ポーカーは「交渉を抽象化したゲーム」と見なすこともできる。相手が本当にどれほどのカードを持っているのか、目の前の戦いにどれだけ賭ける覚悟があるのかも分からない。このような交渉ゲームは、我々が日々取り交わす他人との会話の中にも立ち現れている。分かりやすい例では、「誘う、誘われる」といった男女の恋愛の駆け引きは、まさに「交渉」である。我々の社会で取り持たれるあらゆる人間関係は、一種の交渉であり、ポーカーである。

『ブリッジ・オブ・スパイ』で描かれるのは東西冷戦下におけるスパイゲームという名のポーカーで、米ソが互いに捕獲した相手側のスパイを巡って交渉を繰り広げる。それは情報戦とは呼び難い。客観的な情報自体はおよそ出揃っている。問題は相手がどこまで代償を支払う覚悟があるか、どれほどこちらを恐れているかなのだ。

図2:ソ連のスパイを禁固刑に抑えたドノヴァン(『ブリッジ・オブ・スパイ』)

ソ連側のスパイの弁護に立ち、死刑を禁固30年にまで押し留めた敏腕のドノヴァン(トム・ハンクス、図2)は、ソ連に捕まったアメリカ空軍のパワーズを救出するために、2人のスパイの交換交渉を任される。ところがソ連は、スパイなど知らないという立場を貫く。米国も表立って交渉を行わないから、ドノヴァンらの交渉は水面上でにこやかな茶番を演じながら、水面下で相手を蹴飛ばし合うような滑稽の様相を呈する。特にソ連側スパイの「家族」を名乗る女性たちが喜びあったり泣き出したりする、交渉の場を儲けるためだけの茶番劇はシュールの極みであり、北朝鮮の拉致問題を連想させもする。

もうお互いに全部分かっているんだから、腹を割って話せと叫びたくなるところだが「体裁」は交渉ゲームにおける重要なファクターだから、決してないがしろにはできない。恋愛における「ちょっとお茶するだけと思って」と同じように、交渉者らは自らが全責任を負うことを慎重に避ける。交渉とは、外界に対してもその様子が開かれたパブリックなゲームなのである。

図3:ソ連側の魂胆を見抜くドノヴァン (『ブリッジ・オブ・スパイ』)

駆け引きのクライマックスとなる橋のシーンで、スパイ交換で妥協するかどうかを迫られる(図3)。この局面においては、ソ連側にゲームを動かす権利があり、ローリスクで一方的にアメリカ側に揺さぶりをかけている。このような場面で思わず弱みを見せてしまうか、痛みを覚悟で踏みとどまれるかが、まさに交渉戦の天王山。

大予算のスパイアクションを想定すると肩透かしを食うだろう。銃弾はドノヴァン家への嫌がらせとして窓ガラスを数枚割るだけだし、軍事技術の粋を集めたロッキード U2偵察機は見せ場もなくソ連の土に沈む。この作品は純然たるサスペンスであり、じっくりとした大人の映画といった趣だ。強いて言えば、前半にもう少し緊張感が欲しかった。

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