投稿日時:2018/09/17 ― 最終更新:2019/02/26

ゴッホ映画の決定版

情熱と、激情と、友愛と、絶望とが大渦のように激しく交わり、命の蝋燭を魂の猛火であっという間に燃やし尽くしてしまった男、フィンセント・ファン・ゴッホ。様々な感情が入り交じるこの複雑な男を、主演のカーク・ダグラスは見事に演じきった。容貌が似ているというだけではない。ゴッホが乗り移ったかのようなその葛藤の様子に、観ているこちらの胸まで苦しくなってしまうのだ。

自ら耳を切った、自殺した、という破滅的なエピソードばかりが有名なため、ゴッホは多くの人から誤解されている画家である。しかし残された数々の書簡から明らかになっているように、ゴッホは平常時は理性的で情に厚い男だった。そんな兄を金銭的に援助し続けた弟のテオが、彼を次のように言い表す。

「時に興奮しやすく喧嘩っ早い
だが彼の中には何かがある
手紙には優しい人間がいる
彼の美と力の作品の前では美術館の絵などかすむ
兄に静かな暮らしなど訪れそうもない」

想像するに、ゴッホは生命としての力があまりにも巨大過ぎたのかもしれない。彼が愛した者たちは、そのパトスを受け止めきれず離れていった。その有り余る情熱が親密な弟の下からも彼を遠ざけ、気の合う友だったゴーギャンとも激烈な討論を起こすに至らせた(まあこの衝突は、ゴーギャンの気難しい性格にも原因があるのだろうが)。ちなみにこの、後先考えない激情型の性格は、映画監督になったテオの曾孫にも引き継がれていて、それが祟って彼は47歳のときに暗殺されている。ゴッホの一族は短命の宿命を背負っているのかもしれない。

図1:部屋を歩き回りながら芸術を語るゴッホ

ゴッホが情熱のままに自らの芸術論を語り、忙しなく室内を歩き回りながら周囲の物をつかんだり、放り投げたりする様は、まるで舞台劇のようでもあり、創造力の横溢が感じられる(図1)。この力強さこそが、我々が彼の絵画から受け取るものであり「炎の画家」たる所以だろう。

彼の生涯のうちで20代後半以降、伝道師としての挫折から画家としての生涯を終えるまでの人生が描かれているが、2時間のうちに重要なエピソードをほとんど詰め込んでいるから、個々のシーンは駆け足気味に描かれる。しかしその分、オランダへ、パリへ、アルルへと場面が次々に展開していき、全く飽きさせない。同時にゴッホの芸術論に関しても、そのスピード感から変遷が浮き彫りになり理解しやすい。

作中、有名なポートレートのモチーフとなった人物たちが、肖像画と全く同じ出で立ちで登場するのが面白い。ゴッホがどのような想いで働く農民や貧しい人々をモチーフにしていたのか、活字で知識として学ぶより、こうして映像で見せられた方が遥かに伝わるものが多い。私は子供のときからゴッホの絵が好きだが、この映画はもっと早く観れば良かったと思った。観ればもっとずっと、ゴッホの絵が好きになるから。彼の絵を見たくなるから。

死の床でゴッホがテオに語る。

「俺の人生は何だったんだ
君に迷惑をかけただけ
せめて画材費だけでも返せたらと…」
「いいんだ」

テオは生涯、兄の面倒を見続けていた。ゴッホが死ぬと、病弱だったテオもその後を追うように1年後に亡くなってしまった。テオにとってゴッホはどれほど大きな存在だったのだろうか。この映画ではテオのその後までは描かれていない。ゴッホの人生にどこか救いがあるのは、テオの優しい手がいつも彼の肩にかけられているからに違いない。

出典

図1:ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント『炎の人 ゴッホ』,1956

文章中の台詞の引用部分は、字幕の日本語から引用したもの

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