投稿日時:2019/04/18 ― 最終更新:2019/04/20
図1:『きっと、星のせいじゃない。』海外版ポスター

大学入学直後に知り合った映画好きの女子大生に「これが最近の私のベスト!」と激推しされたので鑑賞した作品。嗜好の異なる人の「オススメ」というのは、その場で「絶対観る」と返答した上で、絶対観ないというのが人の世の空虚な処世術らしいが、星の数ほどある映画作品から観るものを決めるのはめぐり合わせだと思うので、鑑賞の幅を広げるためにもむしろ積極的な気分で臨んだ。

「末期癌に侵されたティーンの恋愛モノ」――何しろこれは私にとって、鑑賞までのハードルの高さがオリンピック級である。命の末の輝きを描けば感動的になるであろう、という安易な思惑が潜んでいないか、大いに警戒してしまう。

ところが率直な感想としては、かなり良かった。展開や結末自体は定型的なので、年間リストで上位に入るような作品とは思えないが、素直に良い時間を過ごせたと思える作品だ。

図2:『きっと、星のせいじゃない。』2014年

まず主役の2人があからさまな美男美女ではない時点で好感触(図2)。ステージ4の癌患者であるヘイゼルは、自助グループで片足を失った青年オーガスタスと出会い惹かれ合う。ところが遠からず死ぬ運命にある彼女は、その後の彼の人生の悲しみとならないように恋愛を拒み、苦悩する。

さてこの映画、私にはやはり語り手のヘイゼルではなく、オーガスタスこそがこの悲恋譚の真の中心人物であるように思える。オーガスタス青年の台詞には、紋切型で陳腐なものがない。あらゆる不幸を絶妙なウィットでユーモアに変える余裕を常に漂わせており、周囲にそのポジティブな心構えを感染させてしまう魅力も備えている。この作品の雰囲気の基調を形成している人物であり、ともすれば陳腐な青春劇に陥りかねない本作を救っているのは、彼の台詞回しに他ならない。

図3:『きっと、星のせいじゃない。』

例えばオーガスタスのアイコンであるタバコ(図3)。ヒロインは人に癌を植え付けるタバコに嫌悪感を示すが、オーガスタスは言う。「象徴(メタファー)だ」と。

火はつけない。命を奪うものを口にくわえ、殺す力を与えない。メタファーだ。

『きっと、星のせいじゃない』

彼はティーンの背伸びではなく、自分たちの命を奪う世の不条理を笑い飛ばすアイロニーとしてタバコをくわえる。ところが初めて飛行機に乗るとき、焦りのあまり禁煙の機内でおしゃぶりのようにタバコをくわえだすなど、達観した態度とは裏腹の可愛らしさも見せる。このギャップが彼の魅力だ。他にも失恋で投げやりになる友人に、彼の栄光の証であるトロフィーを渡し「壊れるものを投げろ」「“バスケは嫌いだ”って親父に伝えたかった」と言い放つシーンなど、シビれてしまう。

彼らは死を日々感じながら生きている。しかしオーガスタスのユーモアは、そんな残酷な運命も彼が人生を楽しむことを、全く阻害できないと主張しているかのようである。19世紀の精神科医フロイトは、月曜日に首を吊られる囚人が「今週の運勢」を気にするジョークを例に出し、このような態度こそが真のユーモアであると定義した。つまり目前に迫る破滅に対し、そんなものは関係ないと、破滅の上で寝転がり自分を守るのがユーモアだというのである。

図4:『きっと、星のせいじゃない。』

ところで二人を接近させるきっかけとなったのは、冒頭での私の体験と同じく他者からのレコメンドである。ヘイゼルに薦められた小説(それまでの彼なら絶対読まないもの)を読んだオーガスタスもそれに夢中になり、二人でアムステルダムへと作家に会いに行くのが、物語の大きな転換点となる(ロケが大変美しい、図4)。

ヘイゼルは小説の「終わりのその後」を知ることを欲する。しかしオランダの地における作家との問答では、作家は「アキレスと亀」などの寓話を繰り出すばかりでヘイゼルたちは混乱するのだが、ここでオーガスタスが口にしていた「象徴(メタファー)」というキーワードが、一種の先触れであったことが分かる。作家が繰り出す寓話は、ヘイゼルたちが作家から引き出したい回答のメタファーとして提示されている。いくつもの話が出てくるのだが、最後までそれに対する直接的な解釈は与えられない。

死の到来を近い将来に見据えるヘイゼルは、人生の意義や、自分の死後の家族たちの行く末を案じている。作家の書いた作中作とヘイゼルの運命を相似形として、映画は「自分が存在しなくなった後の世界」について考えを進める。こういった物語の多層構造が、本作を他の青春映画より趣深いものにしていると言える。

作品の原題が表示されたとき、おかしいと思った。”The Fault in Our Stars”は直訳で「星の過ち」となるので、邦題とは反転しているように見えるのだが、邦題は「きっと」という語で、原題の反語的なニュアンスを汲み取っている(原題はシェイクスピアからの途切れた引用で「過ちは星にあるのではなく、我々にある」が元のセリフ)。珍しく悪くない邦題である。作中で作家が狂乱したように吐き捨てる(図5)。

図5:『きっと、星のせいじゃない。』

君らは副産物だ。個々の命を無視して人類が進化する過程で偶然生まれた失敗作だ。

『きっと、星のせいじゃない』

永遠の忘却を宿命とした生命が生まれたこと、その生命の中に、幼くして死を背負うヘイゼルたちのような癌患者がいること、それは「星の過ち」であったかもしれない。しかし人生に意義を与えるのは、我々自身である。人生が無意味で空虚なものに思えるのは、運命の過ちではないのだ。

(というわけで、私が諸事情によりLINEを放棄してしまったために、もう会うこともないであろう推薦者なので、宛先を失った感想をここにアップします。何かの偶然でいつかあなたの目にも触れるといいですね。さようならお嬢さん。さらに邪悪たれ。あと『マトリックス』(’99)やスタローンの代表作は、早いうちに観ておくことを勧めます。って、もう観たかもしれませんが)

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