間違った週末、エルメスのバッグは人命より重い、さらば商業映画よ / 『ウイークエンド』(’67)

図1:『ウイークエンド』海外版ポスター

「宇宙にさまよった映画」
「鉄屑から見つかった映画」

『ウイークエンド』冒頭より

もうね、大好き。こういう無茶苦茶で反骨精神の暴走脱線事故みたいな作品。建前とか恥じらいといった観念を、悪魔が取り去ってしまったような不条理の世界。とある夫婦が週末に遺産目当てで親を殺しに行くが、道中がなぜか阿鼻叫喚の混沌世界と化していて……『勝手にしやがれ』(’60)や『気狂いピエロ』(’65)に続くロードムービー的な構成で、「銃と女があれば映画は作れる」ことを有言実行した作品である。初めてこの映画を家で観た時、夜中の3時だったのにずっと部屋で一人爆笑しながら文字通り転げ回っていたら、あまりにもうるさくて家族に怒られた。

主役の夫婦は互いに不倫していて、浮気相手と昼食のレストランを決めるような軽いノリで「遺産どうやって奪うー?」とか「あいつ毒殺し損ねてさ」みたいな異常な会話をしている。週末に妻の母親を訪ねにドライブする二人(図2)。ところが道中が異常なほどの大渋滞、というか大混沌。道端では車がひっくり返り、クラクションの大合唱が起こっていて、馬車を引く馬も(馬?)困り果てている。挙げ句には道端で車を降りてチェスに興じる老夫婦までいる。

図2:週末に親の実家を目指してドライブする夫婦(『ウイークエンド』より)

なんとか渋滞を抜けたと思ったら、なんか道中で衝突事故が起きて、衝突されたブルジョワの女はトラクターの労働者に「この貧乏人!」「あの車は社長の息子とセックスして買ってもらったのに!」と喚き散らす。それを眺めながら主役の夫婦は「あの事故車が両親の車だったらね」と言って去るが、今度はこの二人が事故に遭って数台の車が爆発炎上。犠牲者は?相手の運転手はどこ?しかしそんな悲劇はシカトして、妻は燃え盛る車に向かって泣き叫ぶ。「エルメスのバッグがーー!!」。

話の構成としては『気狂いピエロ』と同じく、旅をする1組の男女が行く先々で意味もなく平然と犯罪を犯したり、あるいは巻き込まれる無軌道なピカレスク。ただ『気狂いピエロ』はストーリーテリングが全編破綻していて意味の分からない芸術的・哲学的な難解昼寝映画だったのに対し、『ウイークエンド』で破綻しているのは話の筋ではなくて作品世界そのものである。

図3:とにかく行く先々で燃えまくっている車両(『ウイークエンド』より)

主人公らは週末に車で出かけるが、まるで悪魔の手が舞台となるセーヌ=エ=オワーズ県を撫で回して、全ての住民が発狂しているかのよう。行く先々で理由もなく車が炎上していたり(図3)、人が死んでいたりするが、主人公らはさして気にもしない病んだ世界観。逆に話の筋そのものは「遺産を奪うために妻の実家へ向かう」というだけなので、極めて分かりやすい。全然難解ではない。倫理や道徳が狂った世界で、欲望丸出しの登場人物を使って人間社会の欺瞞や矛盾を徹底的に茶化し、風刺する、18世紀のフランス小説『カンディード』(1759)にも似たエスプリに満ちた作品。そのため凄惨な内容にも関わらず、抱腹絶倒のコメディと化している。

『ウイークエンド』は徹頭徹尾、不条理に満ちている。実際どうしようもないシーンも山程ある。唐突に延々とマルクス主義の演説をかますプロパガンダ的な場面が挿入されたり、蹴飛ばされたファミコン(古い表現)みたいに画面が突如バグったりして、終始ナンセンス。でもとんでもなくシュール。伝統的で理知的な映画監督には絶対に撮れない、撮りたくない、もし神の気まぐれで同じアイディアが浮かんでも精神病院に駆け込んで治療してもらい忘れ去るであろう、ド素人イズムに満ちた渾身のクソ映画を、ゴダールは撮ってしまった。商業主義と一時決別するときに放った監督の最後っ屁を心して嗅ぐように(ゴダールは本作以後、しばらくジガ・ヴェルトフ集団で政治映画に専念する)。

野放図な実験映画ではあるが、実は撮影技法ではかなり凄いことをやっている。特徴はとにかく長回しを多用し、かつそれぞれの長回しが長大なこと。この時代の長回しと言えば、オーソン・ウェルズの『黒い罠』(’58)が、冒頭に車が街路から国境へ移動する3分超えのシーンを、クレーンでダイナミックに撮影して衝撃を与えたが、9年後の『ウイークエンド』序盤の大渋滞シーンはなんと7分を超える長回し(図4)。

図4:有名な7分を超える長回しシーン(『ウイークエンド』より)

この長回しはカメラワーク的には横にスライドしていくだけなものの、カメラの移動と共に無秩序感を増す渋滞の珍光景が次々に出現して全く飽きさせず、歴代の長回し映画には必ずリストアップされるほど有名。撮影準備には3日間を費やしたらしい。他にもコメディチックなケンカシーンなんかは大抵回しっぱなしで撮られていて、とにかく長回しが多く舞台劇を目前に観ているかのような臨場感を持つ。 360度ぐるぐるカメラを回していくシーンは、VR映画の先駆けになるかもしれない。

この作品は恐らく、世界中でカルト的な人気を誇る無秩序ゲーム『ポスタル 2』(’03)の元ネタであろう(実際このゲームには『ウィークエンド』(’04)という拡張パックもある)。『ポスタル 2』は、平和な日常で平凡な「おつかい」をこなすという「素朴」な3Dゲームなのだが、なぜか毎回、様々な「イライラすること」が起こるので、気の短い人は手元にある火炎放射器などで好きに問題を解決しても構わない、という狂気のゲームである(図5)。あの平凡な筋書きと裏腹の無秩序感が『ウイークエンド』にそっくり。ちなみに『ポスタル』も後に映画化(’07)されているのだが、日本では一切上映されていない。

図5:小切手をもらいにきただけなのに過激派のデモ(というかテロ)に巻き込まれてしまうシーン(『ポスタル 2』Running with Scissors, 2003)

私は名作と誉れ高い『気狂いピエロ』より『ウイークエンド』の方が好きである。映像や言葉のセンスはそのままに、圧倒的に分かりやすい。彼の他の作品は、その難解さゆえに作り手とのコミュニケーションすら成立させずに決別させてしまう可能性が高いが、『ウイークエンド』では内容そのものを理解することは容易であろう。受け手がそれを楽しめるかはともかくとして。

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投稿日時: 2019/04/08 ― 最終更新: 2019/04/20
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