投稿日時:2019/03/30

通説では「男は過去の女たちを個別に愛しているが、女は一番新しい男だけを愛している」という(このセオリーには色々な表現方法がある)。しかし『シェルブールの雨傘』の結末は、むしろこの逆を行くものに思える。

そもそもギイが徴兵される時、遠い地で彼が別の恋人を得ることを心配していたのはジュヌヴィエーヴ なのだが、実際には帰還を待ちきれず恋人を作ってしまうのは彼女の方である。彼女はギイに事の成り行きを告げることもなく、ギイの帰還前に罪から逃げるようにしてシェルブールの街を去っていく。このように、ジュヌヴィエーヴの運命は彼女の意思や理想に逆らうように流れていく。

そのせいだろうか、最後のシーンでギイと運命的な一瞬の邂逅を果たす彼女は、どこか救われない雰囲気を纏っている。ガソリンスタンドに入ってくるジュヌヴィエーヴは目の涙を拭うような仕草をし「ここは暖かいわ」「あなた幸せ?」と、些か未練がこもったような台詞を言葉にしながら、振り返りながら店を後にする。一方でギイの方は終始、少し困ったようにタバコをふかしながら「もう行った方がいいよ」と促して娘には会おうせず(図1)、入れ違いに戻ってきた妻子と幸せそうに過ごしながら映画は幕を下ろす。この描写から読み取れることは、ギイは既に新しい家庭で新しい幸福を築いており、そこに過去の恋人が介入する余地は全くないということである。

図1:昔の恋人と距離を置くギイ(『シェルブールの雨傘』 ハピネット)

ジュヌヴィエーヴがギイを捨てたのは、決して自分勝手な都合だけではない。ギイには手紙を送り損ねたという落ち度もあるし、先行きの暗い家の経済状況、ギイに不満を抱く母親、生きて帰ってくるかも不明な恋人という状況から、彼女が絶妙なタイミングで出現した資産家と結婚してしまうのは仕方のないことである。またギイがそのことで彼女を責めるのも酷であろう。 ジュヌヴィエーヴはその点で、運命の犠牲者であるとも言える。しかし彼女が自身の本来の情愛や理想を捨て、現実を選んでしまったこともまた事実なのだ。一方のギイは、苦難を経験しつつも最終的には幸せな家庭と、彼が考えていたガソリンスタンド経営による生活を実現している(図2)。 この違いがラストの二人の態度の違いになっているように思われる。

図2:雨傘店を畳んで街を離れたジュヌヴィエーヴと、ガソリンスタンドを買って街に残ったギイの違い (『シェルブールの雨傘』)

『シェルブールの雨傘』の優れた点は、登場人物それぞれが異なる事情を背負って生きており、物語の悲哀が決して我欲によって引き起こされたわけではないことを観客に納得させる点だ。雨傘店のエムリ夫人は、自身の人生経験から何より娘に辛い人生を歩ませたくないと思って結婚に反対していた。カサールはジュヌヴィエーヴのことを非常に気遣っており、お腹の子供をも引き受けることで自身の誠実さを示してみせた。そういう点でとても現実的なラブストーリーである。運命の残酷によって遠ざかる二人の姿が胸に迫るのも、このような真実味のある人間関係が描かれているからだと思うのだ。

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