記憶を失う男の伝言ゲーム / 『メメント』

事故により脳に外傷を負った後、10分程度の記憶しか保持できなくなってしまった男・レナードが、自分の身体に残された「過去の自分からの伝言」を頼りに、妻を殺した犯人を探すサスペンス。

というか映画が始まった時点で、既に犯人らしき男を殺しているのだが、レナードは直後に記憶を失っているので、何が起きているのかさっぱり分からない。そこから時系列を逆再生することにより、自分が残したメモの書かれた経緯や、犯人(?)殺害までの筋が徐々に明らかになっていく(図1)。

図1:自分へのメッセージを頼りに犯人を探す主人公(『メメント』 東芝デジタルフロンティア, 2000年)

この映画については、既にあらゆる作家が影響を受けた作品として挙げているし、実際あらすじを読んで直感できるようにただの傑作に過ぎないので、もし未鑑賞なら余命が2時間を切っている場合を除き、黙って今すぐ鑑賞しよう。もちろん私の書いているこんな文章を読んでいる場合ではない。

レナードの記憶や認識が混乱している「信頼できない語り手」の類型であり、周囲の人間もそれを利用してレナードを混乱させようと企むので、作中のあらゆる語りが疑惑に満ちている。逆に言うと、全ての劇中解説がペテンや記憶違いの可能性から逃れ得ないため、鑑賞中も鑑賞後も、様々な解釈を持ち込む余地が残っている。このように観客自身に考えさせる映画である点が、大変よく出来ている。

過去を忘れ続ける「私」は何者か

レナードの前向性健忘は明らかに病的なレベルだが、この記憶の不確かさから来る己への不信は、全ての人間に共通するテーマでもある。近年の脳科学研究は、研究が進むほどに人間の記憶がいかに当てにならないかを暴いており、逆に記憶の信頼性を増すような結果は皆無と言ってもいい有り様である。

記憶というのは思い出すだけでも変形してしまうし、願望や思い込みにより偽記憶が簡単に形成される。人間が自らの考えや信念と信じるものも、大抵は誰か他人の言説だったりして、その情報源を忘れて混同しているだけであったりする。人間は皆、程度の差こそあれ一種の健忘症を患っており、主人公はそのスペクトラムの末端付近にいるに過ぎない。そのような視点から、記憶と自己同一性を扱った作品として観るのも、また身近に感じられて面白い。

メモに頼って何とか生活し犯人を探そうとする中で、以下のようなやり取りがある。

「メモだけの人生など無理だ。メモなど当てにならん」
「記憶もだ。記憶の方がもっと悪い。目撃者の証言だって当てにならん」

『メメント』
図:メモの方が当てになると主張するレナード(左)(『メメント』)

メモや写真はそのままだと情報が変化しない。だから信頼できそうな気がする。客観性を持っているように見える。ところが作中には、同じメモを記憶喪失前の意図とは別に読んでしまう場面も存在する。メモはあまりにも変形し過ぎないゆえに、書いた瞬間から離れ過ぎれば他人の言葉に等しい。記憶は変形するが、変形するがゆえに現在の時間と同期し得る。大量のメモを残すことでレナードは自己を保っているようにも見えるが「過去の自分という他者」の呪縛に囚われ、振り回されているだけなのかもしれない。

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投稿日時: 2019/03/03 ― 最終更新: 2019/03/30
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