投稿日時:2019/03/03 ― 最終更新:2019/03/30

『パシフィック・リム』のような作品が、ロボットvs.怪獣という日本のお家芸をハリウッドの規模で完成させてしまうと、正攻法では敵う気がしなくなってくる。ところが正攻法以外でも敵わないのではないかと日本人を脱帽させてしまうのが『クローバーフィールド』という、二重三重にヒネった怪獣映画である。正直、この作品にはやられた。

フィルムの上澄みをすくって解説してみれば『クローバーフィールド』は人類と怪獣の総力戦を描くのではなく、あえてパニックで逃げ惑う背景の人々を描いた作品、巨大生物の足元を映したメタ的な怪獣モノということになる。ところがこのコンセプトは、映画のさらなる仕掛けを起動させるための導線にもなっており、映画の構想そのものが核心部分を隠すためのカモフラージュの役割を果たしている。

図1:映画はハンドカメラに残された映像の再生という形をとる(『クローバーフィールド/HAKAISHA』, Paramount, 2008年)

目に映るものは真実か

本作は終始一貫して「怪獣出現時に一般人が回し続けていたカメラの目線」で物語を描写する(図1)。あくまで素人がホームビデオで撮ったという設定(フェイク・ドキュメンタリー)であるため、映像はブレブレで、肝心のところが不鮮明だったり一瞬しか映っていないことがある。事件の全容は全く不鮮明で、あらゆる情報は不完全である。一般的な怪獣モノみたいに、作戦司令室のモニターにレーダーが映り、怪獣の全長や時速、習性までご丁寧に解説してくれるシーンは皆無で、観る人間も一緒に混沌へ叩き落とされる。

そのためいくつか不可解な場面、説明できないシーン、矛盾をきたしているシーンが登場するのだが、実はこれらを丁寧に紐解くと、カメラを素直に追っていたときの「真実」とは異なる「もう1つの真実」が浮上し、作品の中での「災害が終結した」という結末に大きな疑問を残す結果となる。

観客の視点となるハンドカメラは、言わゆる「信頼できない語り手」の一形態であると言える。カメラの持ち主に与えられる情報は、災害時のパニック状況下ゆえに極めて限られており、従ってその持ち主が語る内容、カメラに収まる映像も、事件の断片を極めて歪められた形で捉えたものに過ぎない(図2)。それはあたかも、我々が現実世界で目にする「真実」のようである。

図2:肝心の怪獣がまともに映るシーンはほとんどなく、出てきても一瞬しか捉えられない(『クローバーフィールド/HAKAISHA』)

この作品が画期的な成果を挙げられた要因として、このような一部のマニアが詳細に分析しないと得られないような映画の核心が、インターネットで広まることを前提としていたことが挙げられる。2008年と言えば、日本でもネット普及率がついに75%を超えた頃である。さらに制作側も、映画に隠された暗号を解くための鍵をネットで巧みに拡散した。こうした仕掛けの結果として「視聴後にネットで情報を求めると、作品に隠されたさらなる秘密にアクセスできる」という状況が作られた。『クローバーフィールド』は言わば、コンテンツがフィクション世界だけで完結せず、現実世界にも接続しているのである。

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