裏窓(’54) / 1954年はVR元年

2022/01/16 ・ 映画 ・ By 秋山俊

脚を骨折して動けない男が、窓からマンション住民たちの様子を観察していたら、とんでもない陰謀を発見してしまう、といういかにもヒッチコックなサスペンスだが、重要なのはプロットではなく映画の構造そのものである。

この映画、恐らく最初期の「箱庭型映画」である。他にこの手の映画で有名なのは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』だろう。

普通の映画が、「事件」の視点を通して直線的に進んでいき、あくまで監督に支配されたポイントを凝視するのに対して、「箱庭型映画」ではあらゆる出来事が並行的に進み、その世界で起きていることを観客自身が観察し、組み立てていく立体型パズルのようになっている。

主人公が窓から覗き見るマンションの住民たちの生活は並行的に描写される。つまりある部屋のダンサーはダンスを踊り、別の部屋ではおっさんが作曲し、また別の部屋では女が悲しみの泉を湧かせている。そして時間経過と共に、彼ら住民の抱えている固有の状況も並行的に進展し、恋人はヨリを戻し音楽は完成する。

裏窓(’54)
裏窓(’54)

これらは殺人事件、すなわち物語の「本筋」とは、全くと言っていいほど関係ない。ただカメラの光学ズームでデバガメに励む骨折男(ジェームズ・ステュアート)が、ゴクリとその強度粘性の唾液を飲み干し殺人事件を観察している間、気の迷いのようにチラチラと視界の端にざわめく末梢的な物語の破片に過ぎないのだ。隣家で凄惨な殺人事件が展開する間も、おっさんはおっさんであり、悲しみの泉は泉である。

だがあえて言えば、視界の端にざわめく彼らこそが『裏窓』の主役である。そして実のところ、メインディッシュとして用意されている殺人事件すら、これら数々の喧騒の一部であり、同時並行的に進行する事態の1つに過ぎない。

『裏窓』の真髄は、このような「世界」を丸ごと構築し、それらを並行デバガメ的に覗き見するVR的悦楽にあり、観客が主人公の視点に重なってこの仮想世界に没入することにある。これに比べれば3Dメガネなど玩具に過ぎない。映画が始まれば、観客は忍辱の鎧を着て裏窓から仮想現実の小空間へと入るだろう。

トリュフォー:
ジェームズ・スチュアートが裏窓から見る情景は、グロテスクでおぞましい人間たちの悲惨さではなく、人間の弱さのイメージなのだと考えるようになりました。あなたのお考えはどうでしょうか。

ヒッチコック:
文句はないよ。そのとおりだと思う。

ヒッチコック、トリュフォー
『定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォー』
山田 宏一 (訳), 蓮實 重彦 (訳), 晶文社, 1990年

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初版:2022/01/16 ―― 改訂: 2022/01/20

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