『透明人間』(’92) / こんなに素晴らしい透明人間があるかよ

2021/12/20 ・ 映画 ・ By 秋山俊

子供の頃は、透明になることを考えたとき、なんて気楽なんだと思ったもんだ。やりたいことをやれて、行きたいところに行けて、欲しい物を手に入れるだろうと。でも大きな罠があった。

As a child, when I’d dream about being invisible, I thought it would be so easy. I could do what I want, go where I want and take what I want. But that’s the catch.

『透明人間』

ジョン・カーペンター監督の『透明人間』は完全に過小評価されている作品で、興行収入は最悪、カーペンターファン以外はその存在すら知らない。映画そのものが透明人間になってしまったという運命の皮肉を呪うたびに、私はビル・ゲイツのメガネを目の前で取り上げて多摩川に投げ捨ててやりたいという薄暗い衝動に襲われてしまう。

あまりにも打ちのめされたのか、監督自身も『恐怖の詩学』内で以下のような弱音を吐いている。

志の高い試みだったが、失敗だった。[……] あの映画をやったことで得るところもあるにはあったが、大体において、あれはわたしのお気に入りの映画じゃない。

ジョン・カーペンター
『恐怖の詩学』井上正昭訳、フィルムアート社

だが監督自身が納得していないにも関わらず、『透明人間』は素晴らしい映画だ。あまりにも辛い現実に、カーペンター監督はペシミズムに陥ってしまったに過ぎない。ストーリーや演出だけでなく、技術的にも新しいことをやっており、必見の作品である。

『透明人間』1992年

ジョン・カーペンター監督へのラブレター

親愛なるジョンへ

なにを言っているんだ、ジョン。『透明人間』は最高の映画で、あなたはアメリカで最もクールな映画監督だ。僕はこの映画を観返して、主人公が透明になったせいで自分の腕が見えず、スーツをうまく着ることすらできないシーンに出くわすたびにクスクス笑ってしまうよ。お婆ちゃんがバックを盗られたとき、主人公が透明人間である自分に煩悶しながらも、片手でサッと奪い返してしまうシーンなんて爆笑だね。

僕が断言する。『透明人間』は傑作だ。我が青き蝋燭に誓って、これは掛け値なしだぜ。

これは「透明人間の悲哀」をテーマにした映画なんだね。従来の、無敵と犯罪を予感させる超人としての透明人間ではなく、弱くて儚い存在としての透明人間を描くという、透明人間に対する批評なんだね。

実際、自分の腕が見えないせいでフォークもろくに操れない透明人間や、通行人に無意識のうちにぶっ飛ばされる透明人間を見て、たしかに透明人間って破綻した存在だなって思い知らされたよ。「現実に透明人間になったらどうなるか?」というリアルなシミュレートに基づくストーリー展開に、鑑賞後には思わず「もし自分が透明人間になったら?」というシミュレートをせずにはいられなかった。

僕がなにより気に入っているのは、この映画はシリアスとギャグの配合が絶妙で、悲惨なストーリーが進行しつつも観ていてすごく心地が良いってことだ。事故原因の強引さとかも、絶妙にB級っぽい感じで、まさにジョンの長所がいかんなく発揮された作品だと思うよ。

それでいて、透明人間の顔だけが見えて走っているシーンとか、当時のCGの最先端をいっていた作品だよね。後に『フォレスト・ガンプ / 一期一会』でも使われたという……。劇中の、ルネ・マグリットやダリのシュルレアリスム絵画から影響を受けたっていう、超常的な建物のビジュアルもインパクトがあるよね。本当に、なんでこんな素晴らしい映画が発掘されずにスルーされてしまっているんだろう?こんなのは絶対に間違っている、間違っているよ……

最近話題になった、新しい『透明人間』(’20)もあるけど、私見によれば、2つの『透明人間』は対を成していると思う。つまりあっちは、「透明人間の能力を、考えうる限りの悪意で用いたら何が起こるか?」という映画であり、こっちはその逆なんだ。ジョンはもう観た?

『透明人間』はあなたのフィルモグラフィの中でも、確実に上位に位置すると思うね。それでも一番はやっぱり『ゼイリブ』かなぁ。レジェンド級だよ。あと僕はジョンの作曲したシンセサイザーの劇伴が好きで、最近アルバムを立て続けにリリースしたのには驚いたなぁ。もう最近ではすっかり監督業はしていないみたいだけど、かなうことならもう一作、あなたの作品を観てみたいな。

偉大なる映画監督、ジョン・カーペンターの熱烈な信奉者より

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初版:2021/12/20 ―― 改訂: 2021/12/21

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