『スター・ウォーズ EP4 新たなる希望』を支えた天才たちと演出の意図【ラジオ】

2021/03/09 ・ 映画 ・ By 秋山俊
『スター・ウォーズ 新たなる希望』

前回の解説動画の方で、「スター・ウォーズ」旧三部作とはなんだったのか?という話をして、そこでこのシリーズは父殺しの神話というのがベースにあって、話の筋よりも世界観で愉しませる映画である、という三部作全体の構成とかテーマの話をしたんですけど。

今回のラジオではそれとは視点を変えてですね、「旧三部作が未だに別格扱いされているのは何故なのか」、「実はルーカス以外にすごい天才がいて、その人の役割がすごく大きかった」、っという話をまずしようかなと思います。その後でエピソード4の印象的な場面とか、あの有名な場面はどういう意図で撮影されてるのか、といった『新たなる希望』という作品に関するちょっと細かい話をする予定です。

続編が旧三部作のキャラクターを超えられない話

『スター・ウォーズ』のキャラデザ

それで、いきなり本題に入ると、旧三部作ってシリーズで一番低予算なのに、興行収入もインフレ換算して現代の価値に置き換えると世界歴代4位で『アベンジャーズ』より上だし、ファンの間でも未だに人気No.1で。なんでかって考えたときに、いろいろな要因は考えられるんだけど、結局決定的な要因って1つだと思ってて。それは何かって言うと、「キャラクター」。結局これじゃないかなって。

『スター・ウォーズ』っていうのは、世界観そのもので愉しませる映画だって話を前回したんですけど、世界観の中核にあるのって風景とか文化よりキャラなんですよ。で、旧三部作っていうのはキャラデザインがメチャクチャ優れていたんですね。

『スター・ウォーズ 新たなる希望』

R2-D2とかダースベイダーは言うに及ばず、ハン・ソロとかオビ=ワン・ケノービとか、あとメカデザイン全般もすごい優れてるじゃないですか。ミレニアム・ファルコンとか。旧三部作のデザインを担当したのは、これは前回の動画で名前を挙げてくれている方もいましたけど、ラルフ・マクォーリーという人で、この人がスター・ウォーズの世界を具体的に目に見える形にしてくれた人なんですね。マクォーリー、表記によってはマッカリーだったりしますけど。

ルーカスのイメージを具現化した人物

だからスター・ウォーズというと、ジョージ・ルーカスの作品というイメージばかり強いけど、実はラルフ・マクォーリーのデザインに負うところがものすごくデカくて、人によっては「二人の関係はAppleのスティーブ・ジョブスとウォズニアックの関係だ」って言う人もいるくらいで。

ラルフ・マクォーリー

当時ルーカスが『スター・ウォーズ』のアイディアを出したんだけど、それはあくまで言葉、文字で書かれたストーリーでしかなくて、周囲の誰もルーカスが思い描いている世界を共有できなかったんだけど、ただそれをマクォーリーが具体的なビジュアル・イメージに落とし込んでみせたことで、初めて周囲に伝わって予算がもらえて、それどころか、おそらくルーカスが考えていた以上の世界にまで進化させてしまった、っていう人。

ダース・ベイダーとかR2-D2とかC-3POとかチューバッカとか、人気キャラは大体この人がデザインしていて。ルーカスもマクォーリーがまとめたコンセプトアートを使って、「こういう風にしてくれ」って指示を出したり。だから『スター・ウォーズ』は彼抜きには完成しなかった作品なんですよ。

僕なんかは、子供のときに何故か『帝国の逆襲』のコンセプトアート集を親に買ってもらって読んでいて、後になってそれが彼の仕事だと知ったんですけど。ちなみにマクォーリーは、映画業界の前にはアメリカのボーイング社って、航空機の会社ですね、あそこのイラストレーターとかしていた人で、だからメカデザインの最先端で仕事をしていた超一流の人なんです。

『スター・ウォーズ 新たなる希望』

ただこの人は旧三部作しか参加していなくって。それ以降のスター・ウォーズって、ルーカスのアイディアを完璧に具現化してくれる人がいなくなっちゃったんですよ。ウォズを失ったジョブスみたいな。だから新三部作に一番欠けているのはこの人の存在だと思うんですよね。

70年代の才能が集結

それとマクォーリーが描いた二次元のデザインを、三次元の立体物として実際に構築したのが、女性の彫刻家であるリズ・ムーアという方で、彫刻家というよりモデルじゃないのって感じのルックスですけど。

リズ・ムーア

この人は『2001年宇宙の旅』とか『時計じかけのオレンジ』とか、キューブリック作品にも参加しています。マクォーリーのコンセプトアートと映画の最終的なデザインを比べると、やっぱり元の絵はコミックっぽいというか、ちょっと安っぽい部分もあるんですけど、最後の造形ですごく締まったフォルムになってて。

あと他にも、ルーカスの元奥さんだったマーシアさんっていう人がいて、この人は「編集の天才」と呼ばれている人で。映像の編集作業ですね。『スター・ウォーズ』でアカデミー編集賞を受賞しただけでなく、『タクシー・ドライバー』の編集なんかもこの人が手掛けてるて。ルーカスとはその後離婚しちゃったんですけど、とにかく物語づくりに関するセンスが抜群な人で、編集以外にもルーカスにかなり助言を与えて、支えていたらしくって。あと他のスタッフとしては、ライトセーバーの音とかをデザインしたベン・バートの活躍とかも大きくて。

まあとにかく、『スター・ウォーズ』ってSFとしては低予算にも関わらず、当時のすごい才能が集結していたからこそ生まれた奇跡的な作品なんですよ。だからこそ、あのバランスとレベルの高さは一回限りなわけです。個人的には新三部作もかなり好きなんですけど、やっぱ歴史的な作品って、巡り合わせがないと生まれないものなんですよ。旧三部作の後にはマクォーリーもマーシアもいなくって。

『スター・ウォーズ 新たなる希望』

なんでもそうじゃないですか。ゾンビ映画で言えばロメロとトム・サヴィーニとか。空想豊かなアイディアマンと技術オタクがタッグを組んで最高のモノが作られるっていう。逆にこういう伝説のチームが解散しちゃうと、神格化されたクリエイターの周囲にイエスマンばかりが集まって、その後の質が低下しちゃうっていうのもよくあることで。

続編が超えられない壁

今、旧三部作のデザインの話をしましたけど、逆にその後作られた新三部作とか、2015年から始まった続三部作の限界は何かというと、もちろん人によってはジャージャー・ビンクスが気に食わないとか、フォースの設定が崩壊してるとか、問題は色々あるんでしょうけど、一番根本的な部分だと、世界観の根幹をなすキャラクターデザインが、あくまで旧三部作の流用とリメイクに過ぎないってことだと思うんですよ。だからどうしても二番煎じになってしまって、技術的にも予算的にも遥かに恵まれているのに旧三部作を超えられない、っていうことだと思います。

じゃあ絶対に旧三部作を超えられないかというと、そんなことはなくって、たとえば日本の『シン・ゴジラ』って映画は、かつてのゴジラを超える現代版ゴジラをデザインできたから成功したと思うんですね。あれ観たときに「今までのゴジラを超えている」って思った人は多いと思うんですよ。あれもキャラクター映画ですよね。

続編に必要なもの

仮にC-3POやR2-D2に匹敵するようなキャラが新作で生まれたら、「オレはこのキャラ大好きだから、そいつらが出てくる新作の方が旧三部作より面白い」って人とか、「新作に比べると旧三部作はもう古いよね」って人も増えると思うんですよ。ゴジラみたいにね。

『スター・ウォーズ  エピソード1  ファントム・メナス』

あるいはキャラとはちょっと違うけど、新三部作みたいにスター・ウォーズに出てくる概念を現代風にバージョンアップするという方向性もアリなはずなんですよ。新三部作って、ライトセーバーに対する認識そのものが現代化されて拡張されている部分が面白いと思うんですよ。ジェダイによって色々な型があったり、両刃のライトセーバーも出てきて、敵の攻撃をアグレッシブに跳ね返しまくります、みたいな。

だから、「新三部作のライトセーバー戦が好きだから、旧三部作より好きだ」って人は割といると思うんですね。それと同じで、たとえばフォースの概念が現代哲学の考えとかを吸収して、より拡張されるとか、そういう方向性もアリだとは思うんですよ。まあこの辺、ちょっと妄想になってきましたけど。

革新 vs. ノスタルジー

だから続三部作にも、新三部作みたいに、そういう概念の拡張とか現代化が、1個くらい必要だったとは思います。ただ続三部作って、概念を進化させるどころか、逆に、ライトセーバーに対する考え方とかをロールバックして昔に戻しちゃったんですね。やっぱジェダイはぴょんぴょん飛びません。ゴツゴツ戦います、みたいな。だから続三部作って「革新」じゃなくて「ノスタルジー」なんですよ。中心にある理念が。そこが批判されているところですよね。

ちなみにキャラデザインに関して、さっき言ったラルフ・マクォーリーがまた担当すればいいんじゃないかという人もいるかもしれないんですけど、残念ながら2012年に亡くなっています。そもそも旧三部作においても、作品が進むに連れて彼のモチベーションがどんどん低下していって、さらに90年代後半の特別編のあたりで、パーキンソン病にかかって仕事できなくなっちゃったみたいで。だからもう彼以外の人物が、新しいデザインを生み出すしかないんですね。ついでに言うと、彫刻家のリズ・ムーアも既に亡くなってます。実は『新たなる希望』の公開前に交通事故で亡くなってしまったんですけど。

『スター・ウォーズ エピソード1 ファントム・メナス』

僕が新三部作以降で、旧三部作に匹敵すると思うキャラは、ダース・モールとグリーヴァスくらいですかね。エピソード1って、ダース・モールのおかげで形になっている映画だと思うんですよ。彼が出てこなかったら、気の抜けたコーラみたいな映画になっちゃうから。物語の主役はアナキンだけど、映画の柱はダース・モールで。あとはメイス・ウィンドゥとドゥークーとか、『ローグ・ワン』のK-2SOがいいかなってくらいで。

ストームトルーパーのデザイン

「量産型だけどカッコイイ」のバランス

で、デザインについてもう少し深堀りすると、ダース・ベイダーとかR2-D2のデザインがすごいっていうのは、100人中95人くらいが同意してくれると思うんですよ。「ダース・ベイダーってカッコイイよね」って。見た目だけじゃなくて、絶対倒せなそうな感じの演出やセリフも全て含めて。あれは日本の兜をモチーフにしてますよね。ダース・ベイダーのマスクは。ウルトラマンのゼットンなんかも西洋の甲冑をモチーフにしているから、昔のゴツい鎧をモチーフに持ってくると、ラスボス感が出るんじゃないかなと個人的に思うんですけど。

まあそれは置いといて、ベイダーがカッコイイのは誰でも分かるから改めて語らなくてもいいと思うんですけど、それ以外ですごいと思うのは、ストームトルーパーのデザインですね。あれって絶妙だと思うんですよ。

『スター・ウォーズ 新たなる希望』

なんでかっていうと、ストームトルーパーって歩兵であり量産型的な扱いじゃないですか。だからあまり凝ったデザインにできない。嘘くさいから。あまり華麗なデザインにしていると、「おまえそれ、絶対量産に向いてないだろ」ってなるし、かといってダサい造形にもできないし。

主役を引き立てる脇役

歩兵とか雑兵って、戦記モノの戦闘シーンにおける背景の主役じゃないですか。先頭を歩いているのは司令官だけど、その背後を埋め尽くすモブキャラたちが英雄を引き立ててるわけで。『スター・ウォーズ』の場合、真っ白なストームトルーパーがズラッと並んで、その中央を真っ黒なダース・ベイダーがズカズカ歩いているから、そのコントラストで主役が余計引き立つという関係で。

ストームトルーパーって、そういう一般兵に求められる「凝ってないけど面白い」とか「機能性重視だけどダサくない」っていうデザインを満たしていると思うんですよ。ガンダムで言うところのザクII。ザクIIって、無骨で華やかなパーツは使われてないけどカッコイイじゃないですか。

あとカラーリングの関係も似たような感じで、背後に緑色のザクが大量に飛んでいて、その中央に真っ赤なシャアザクがいるっていう補色のカラーリングになっているから、主役が引き立つんですよ。赤と緑って色相環の反対側に位置する補色の関係だから。だから目立たせたいキャラには赤色が使われてて。昔のロボットアニメってそういうパターンが多いですね。モブキャラが緑で、主役が赤ってパターン。

帝国軍のカラーリングとモチーフ

ちなみにさっき帝国軍兵士が白と黒のカラーで作られてるって話をしたんですけど、上級の軍人ほど色が黒くて、これについてエピソード6のコメンタリーの中で「悪人の世界は白と黒。白と黒は絶対的な機械の世界の象徴で、逆に善人の世界は自然界の色に包まれている」っていう解説がされていて。

『スター・ウォーズ 新たなる希望』

優れたデザインっていうのは何でもそうですけど、ランダムに思いつきで決めてるわけじゃなくて、そこには記号的な意味とか象徴とかが含まれてるのが常で。たとえばTIEファイターとか、帝国軍の戦闘機にはクモの巣がモチーフとして使われてるんですよ。だから何となく邪悪で敵っぽい印象を抱きますよね。

これはエピソード6の皇帝のいる空間の窓も同じで、あれもクモの巣のような形状で、獲物を罠に誘い込む皇帝を象徴してるんですね。だからそういうモチーフを読み取れなくても、帝国軍の機械とか空間って何となく、みんな禍々しい印象を受けるわけで。

新三部作の欠点は通商ドロイド

今のが旧三部作の兵士たちのデザインの話だったんですけど、この名もなき雑兵の完成度という点で、エピソード1の『ファントム・メナス』は失敗していると思います。全体としては面白い映画なんだけど、通商連合の雑魚ドロイドが過剰にチープな造形になってしまっている。あれがいけない。わざとチープにしているのは分かるけど、チープ過ぎるんですね。

もちろん通商連合というのがそもそもやられ役の勢力で、新三部作というのはライトセーバー戦を中心に据えたシリーズだから、ライトセーバーでズバズバ斬られるのに都合の良いデザインでなければならない、っていう製作上の都合は理解できるんですよ。ストームトルーパーみたいなのが首ズバぁ!って斬り殺されていたら生々し過ぎるじゃないですか。あとCGで作りやすいデザインにする必要があったりとか。だから一瞬でパキパキ気持ちよく折れていく、カカシみたいなデザインになったと思うんですけど、ただあれが画面に映っていても、あまり愉しい気分にはなれないと思うんですね。

『スター・ウォーズ エピソード1 ファントム・メナス』

旧三部作の解説でも話したんですけど、結局『スター・ウォーズ』って、「そのキャラが動いて喋ってるだけで愉しい」っていう快楽が前面に出た、ある意味アイドル映画なんですよ。「R2カワイイー!ベイダーかっけー!オビ=ワンしぶーい!映画オワッター!」みたいな。だからそのキャラクターが画面に映っているだけでどれだけワクワクできるか、というのが非常に重要で、ストーリーはむしろキャラクターを駆動させるための装置と化していて、そういうキャラクタードリブンな映画になってる。

だからこそ、旧三部作では背景にズラッと並んだストームトルーパーによって映画が引き締まってるし、逆に新三部作はドロイドがちょっとショボくて、しまらない感じになってる。ドロイデカは面白いと思うんですけどね。あのシールド張るダンゴムシみたいなやつ。ああいうキャラクターがもっと出てくればよかったですね。

エピソード4の問題点

最もまとまりが良いエピソード4

まあデザインの話はこれくらいにしておいて、映画本編についての話に入っていいですか?まあようやく、ようやくですけど。

エピソード4はもちろん、一番まとまりの良いエピソードですよね。つまりエピソード4,5,6の三部作というのは全て繋がっていて、5,6はそれだけだと起承転結がない作品になってしまってるんだけど、4だけは単品だけ観た場合でも起承転結があって、ちゃんと内部で完結してるんですね。本当はデス・スターってエピソード6まで出てこないはずだったのを、ルーカスがエピソード4にも持ってきて、ラスボスを倒すカタルシスというのを作ってるからなんですけど。

個人的にも全『スター・ウォーズ』作品の中でも一番好きなのはエピソード4で、だから話し始めると褒めるばかりになっちゃうし、基本的には「全部良い」っていう評価なんですけど、これまで旧三部作を散々褒めてきたから、ここでは逆に唯一問題点だと思っている部分について語りましょうか。

デス・スターからの撤退戦は接待

エピソード4の問題点を挙げるとすれば、デス・スターからの撤退戦ですね。潜り込んだ後の。あそこだけ微妙にダルい感じがします。

というのは、ストームトルーパーたちが接待し過ぎなんですよ。ルークたちを。あの場面、相手がその気ならルークたちは10回くらいブラスターで焼け死んでしますよ。ドアが足元だけ開かれた状態になっているところとか、隙間からブラスター撃てばルークの足は吹っ飛ぶじゃないですか。

『スター・ウォーズ 新たなる希望』

もちろんこういう映画で主人公たちになぜか弾が当たらないっていうのは、お約束なんで、指摘するのは野暮なんですけど、あの場面はそれにしても露骨過ぎて、ちょっと見せ方が下手だなって思っちゃう。もうちょっと上手く接待しようよ、っと。

続けてエピソード5のラストの撤退戦を見るとそれがよく分かって、『帝国の逆襲』の方が撤退戦は上手いんですよ。あそこまで露骨じゃないから、もう少しちゃんと戦っている感じがする。エピソード4の、ベイダーとオビ=ワンの対決はいいんですけど。あっちは100点です。

実は死なないはずだったオビ=ワン・ケノービ

アレ、撮影前までの脚本だとオビ=ワンは死なない展開だったらしいんですよ。でも撮影が始まったら、デス・スターから脱出した後は戦闘機メインだから、オビ=ワンの存在が宙に浮いてしまうってことにルーカスが気づいたらしくて。それで「死んでくれ」っと。でも続編で出番が必要だから幽霊ねってことになったらしくて。でも結果的にその展開で大正解だったと思いますね。

あとエピソード4の話の大きな穴って、「なんでデス・スターにあんな分かりやすい弱点があるの?」ってことだったんですけど、これは2016年の『ローグ・ワン』の中で上手く説明されていて、あれはすごいファインプレイだったと思いますね。

デス・スター戦の撮影の秘密

カット数でウソを誤魔化す

今、イマイチなシーンを挙げたので、逆に好きな場面を挙げると、やっぱ最後のデス・スター上での空中戦ですかねぇ。あそこって確か、そんなに長い場面じゃないのに、そこだけでカット数が100以上あって、カットっていうのはある視点から次に切り替わるまでで1カットなんですけど、このデス・スターの場面では視点が3秒に一回くらい、目まぐるしく切り替わり続けるんですね。誰かが一言しゃべるたびに場面がパッパッ、パッパッ替わる感じで。

『スター・ウォーズ 新たなる希望』

基本的にカット数を増やすと場面がどんどんジャンプするんで、時間あたりの情報量が増えてスピード感は出るんですよ。ただこの場面って、別にスピード感出したくてカット数を増やしてるわけじゃなくて、本当は予算がないから画面を切り替えまくって誤魔化してるんですよ。その証拠に予算が出るようになった続編だと、あそこまで頻繁に画面が切り替わってるシーンってないでしょう?

最初の『スター・ウォーズ』って、宇宙戦を本格的に描くためには予算が足りなすぎて、1つの場面を長く回すとすぐボロが出ちゃうんですよ。「3秒間だけ宇宙にいるフリはできるけど、それ以上長く回すと嘘がバレる」、みたいな。まあ3秒間すら持ちこたえられてない部分もありますけど。当時はDVDやビデオがなかったから、初めて来た観客が驚いてくれれば多少アラがあってもよかったってルーカスは言ってますね。

ルーカスが本当に撮りたかった宇宙戦が実現するのって『エピソード6』の方で、あっちの、新しいデス・スターの周辺での反乱軍と帝国軍が入り乱れて飛び交う大規模戦闘。あれが本当に思い描いていた宇宙での戦闘で、あれは満足する出来だったって語られてます。予算と、あと宇宙での戦闘を撮影する技術がこなれてきたから撮れたらしくって、逆にエピソード6が完成するまでの6年間での、技術的な革新というのは大してなかったらしいですね。で、さっきも話しましたけど、エピソード6では別に超高速で画面が切り替わりまくったりせずに、もっと広い視野で大規模な戦闘を撮ってますね。

逆に、『エピソード4』では金がなかったから、1つのカットを長くして雄大なスケールを演出することができない。だから逆に嘘が嘘だとバレない短いカットを連続でつなぐことで、低予算でも宇宙戦をそれなりに上手く表現できていて、たとえるなら短距離ダッシュを何度も繰り返したものを繋いで長距離走を走った、みたいな感じですかね。

本当は盛り上がりにくい戦闘機

一応、画面をせわしなく切り替えまくった副次効果として、「スピード感が出た」のと、「戦闘機に乗りながらずっと会話が続くようになった」、っていうのはありますね。というのは、一人乗りの戦闘機って、本当はあまり映画向けのガジェットじゃないんですよ。この場面でも予算ないから、やたらコックピットばかり映していて、それだけだと間が持たないからとにかくカットを繋ぎまくってるんですけど、実はコックピットを何度も映すことって普通あまりやらないんですよ。

『スター・ウォーズ 新たなる希望』

戦闘機が出てくると派手になるから盛り上がると思う人も多いと思うんですけど、戦闘機の欠点って視点が正面か真横くらいしかない上に、その画面の中だけだと会話が成立しないってことなんですね。

だから絵面として単調だし、画面を何回も切り替えないと「会話してる感」が出ないんですよ。長々とコックピット視点を映しても退屈するだけですよ。この点でいうと、映画のガジェットとしてはやっぱりヘリとか車の方がいいんですね。その空間だけで会話が成立するから、乗り物の中でドラマが成り立つっていう。ただ『スター・ウォーズ』の場合は、元々撮影の都合で高速で画面が切り替わるようになっていたから、それに便乗して戦闘機の会話もスムーズに行われるようになってるかなって思います。

ダース・ベイダーの華麗な敗走

株がストップ高のまま退却

あと最後の戦いで気に入っているのは、ダース・ベイダーの負け方が完璧なこと。あれって、ダース・ベイダーの落ち度がほとんどない負け方じゃないですか。ハン・ソロが完全な不意打ちで攻撃してきた上に、その攻撃でグラついた味方に接触されてコースアウトしたっていう。だからダース・ベイダーの評価を一切下げずに敗退させて次に繋げることができていて、むしろエピソード4全体では、ベイダーの株がストップ高になったままエピソード5に続くから、ルーカスは最初から本当に三部作作り切るつもりだったんだなぁって思いますね。

『スター・ウォーズ 新たなる希望』

あとエピソード4で自分が一番好きなセリフっていうのも、この最後の戦いに出てくるんですよ。ダース・ベイダーがルークを攻撃しようとする直前に出てくる「強いフォースを感じる……」ってセリフが、もう大好きで。敵であるベイダーが、眼の前の、そのときは誰とも知らぬパイロットからとんでもないフォースを感じ取って、っていうあの流れが中二心をくすぐるというか。

エピソード4の好きなシーン

子供のときに日本語吹き替えをビデオテープに録って観ていたせいで、ブルーレイを買ってからもあのセリフだけ日本語で聞きたくて、よく全部観終わってから巻き戻して日本語で聞き直したりしてるんですけど。そういうのってありませんか?ない?ないかな?そういうシーンがエピソード5にもあるんですけど。

あとハン・ソロがね、最後に応援に駆けつけるときのノリも好き。「さっさとケリつけて帰ろーぜ」みたいな。この悪友っぽさが最高。で、帰還した戦闘機から焦げたR2-D2が取り出されると、C-3POが「絶対に直してください。もし必要なら私のパーツも使ってください」って言い出す場面もね、すごくいい。それまでずっと悪態をついてたのが、全部ここへ向けての伏線で、ここで回収されていて。

『隠し砦の三悪人』と『スター・ウォーズ』

凸凹コンビの結末

解説動画でも話したんですけど、『スター・ウォーズ』は黒澤明の『隠し砦の三悪人』がモチーフで、メチャクチャ影響受けてて、この2体のドロイドもあの映画から持ってきてるんですよ。あの映画でも悪人の凸凹コンビが、いっつもお互いに罵り合ってるんだけど、本当にこれが最期かってなると、お互いに涙を流して抱き合うんですね。さっき言ったシーンと同じですよね。

で、『スター・ウォーズ』の最後の、レイア姫がメダルを授与するシーン、あれもオマージュで。『隠し砦の三悪人』でも、最後にお姫様と家来が中央に立って、和楽器が「ダン、ダン、ダッダッダダダン!」って鳴り響く中を、お姫様がゆっくり歩いて、凸凹コンビがそれに平服してるってシーンがあるんですよ。凸凹コンビが、たった1枚の大判の金を褒美として授かって。

『隠し砦の三悪人』

でもその大判は1枚しかないから分割できないんですね。そこで、いつも争ってばかりだった二人が、たった一枚の金を手にしてどうするか、っていうのがこの映画のラストなんですけど、このシーンがすごく良くて。「あっ、今までの話は全部これを描くためだったんだ」ってなって。

これはぜひ、観て確かめてほしんですけど、やっぱ黒澤明監督の根底にあるのってヒューマニズムなんでしょうね。『羅生門』のラストとかもそうですけど。人間を信じたいんですね。

で、なんでこの話をしたかっていうと、結局、『スター・ウォーズ』でもジョージ・ルーカス監督は、「凸凹コンビがずっとお互いに悪態をつきあってて、でも最後に……!」っていうのを再現したかったんですよ。それがこのコンビの関係性の本質であって、ただの腐れ縁じゃないって話なんですよ。

エンディングが完璧な話

っで、授与式があって、『スター・ウォーズ』のテーマが鳴り響きながらエンドクレジットに入るでしょ。流れが完璧。だから毎回クレジットが終わるまで観ちゃう。完全に終わるまで観てしまう映画ってみんな傑作だと思うんですね。『ブレードランナー』とか『ロッキー』とか。映画が終わるまでの流れが完璧で、なおかつエンディング曲も最高のものに限られてて。クレジットが終わるまでが映画って感じで。僕はそれ以外だと、すぐ観るのを終えちゃうんですよ。まあ映画館だと明るくなるまで観ることも多いですけど。

まあそんなわけで、最高のラストを迎えて続編の『帝国の逆襲』に続くわけですけど、『スター・ウォーズ』がすごいのって、1作目でこれだけデカイ壁を作ったのに、2作目がそれに匹敵するか、もしくは超えてしまってるってことですよね。そんなわけで話が長くなったので、『帝国の逆襲』はまた近い内に別のラジオで話そうと思います。ありがとうございました。

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投稿: 2021/03/09 ― 更新: 2021/03/10
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