『悪魔のサンタクロース 惨殺の斧』(’84) / 人間不信、あるいはおとぎ話の欺瞞

2020/12/23 ・ 映画 ・ By 秋山俊
『悪魔のサンタクロース 惨殺の斧』1984年

子供たちの夢の運び手であるサンタさんが、殺人鬼と化してしまう。1980年の『サンタが殺しにやってくる』と並び立つ、衝撃のサンタ・サスペンス!――とでも書けば少しはサマになるが、要するに80年代という時代に典型の低予算スラッシャー映画(猟奇殺人モノ)である(図1)。

サンタが殺人鬼でシスターが鬼畜という“不道徳”な本作が、本国において上映禁止となったのは、80年代映画ポスターの虚言癖じみたコケオドシではなく真実である。本作はそれによってむしろ話題を集めてしまい、小規模ながら成功を収めた。聖夜の炎上商法!金がなければ己を燃やせ!人気が出たホラー映画の例に漏れず、本国では5作目まで続編が作られている。『サンタが殺しにやってくる』は大した批判もなく、そのまま消沈してしまったのだから、運命は皮肉だ。

図1:皆殺しサンタ、闇落ちしたアナキン・スカイウォーカーっぽい(『悪魔のサンタクロース 惨殺の斧』)

本作は、言ってしまえば、サンタの格好をした強盗に両親が殺される現場を目撃した少年が殺人鬼と化す話(図2)。長じてからもそのトラウマと性嫌悪を抱え続けた彼は、結果として「セックスするカップルを殺さずにいられない」という、スラッシャー映画に典型的な猟奇殺人鬼にすくすく育ち、ついに覚醒する。そして烈火のごとく殺しまくる。

そういう、一見したところ他愛ない作品である。

図2:両親のレイプと死を目撃したのがトラウマに(『悪魔のサンタクロース 惨殺の斧』)

童話とはなにか

しかし私は、そのような水を得た魚、処刑斧を拾ったゾディアック、スターを獲得したマリオの如き皆殺しパートとは、全く異なる部分に、本作の面白さを発見する。

それは「良い子にしているとサンタがプレゼントをくれる」という、一見微笑ましい暗示が、人の世に不変の支配手段である点を告発していることである。これは要するに、神話やおとぎ話に隠された企みの暴露であり、一部の宗教において「良い行いをしていれば救われる」と信じられている点で、子供も大人も大差ない。

サンタの法則を逆に読めば「悪い子にはペナルティがある」ということであり、裏返しのホラーであるとも言える。

悪いことをすれば、必ず見つかり、罰を受けるのです。罰は絶対であり、罰は良いことです。

When we do something naughty, we are always caught. Then, we are punished. Punishment is absolute, punishment is good.

孤児院の院長
『悪魔のサンタクロース 惨殺の斧』

童話の本質はホラーである。なぜか。それは子供に「~するなかれ」と刷り込むための教育装置だからだ。

それはときに子供を危険から遠ざけるために用いられ、ときに子供を「しつける」ために用いられる。童話集の元祖の1つ、17世紀フランスの『ペロー童話集』では、筋書きは多くが残酷で、最後に「教訓」のついたものが多い。

たとえば彼の『赤ずきん』では、少女がストリップまがいの脱衣をやらされた上で、狼に喰われてそれっきりである(グリム童話版など、時代を経るほどマイルドになる)。『赤ずきん』は、赤い頭巾などという性的シンボルを身に着けて外をウロウロするな、という警告とも解釈できる(ちなみに、この「オオカミとおばあさん」という童話の類型で、最初に「赤ずきん」というキャラを生んだのがペローである)。

こう言いながら、その悪いオオカミは赤ずきんに飛びかかり、彼女を食べてしまったのでした。(おしまい)

Et en disant ces mots, ce méchant Loup se jeta sur le petit chaperon rouge, et la mangea.

シャルル・ペロー『ペロー童話集』

偽装された支配手段

この『悪魔のサンタクロース』においては、「悪い子にはプレゼントはない」「悪い子は罰せられる」といった暗示が繰り返し登場し、それはもっぱら子供を黙らせるための手段として用いられる。

サンタクロースはな、一年中「いい子」にしてた子供にしかプレゼントを持ってこねぇ。それ以外のみーんな、いたずらっ子にはなぁ、サンタさんが罰を与えるんだ!おまえはどうだ、小僧?おまえは一年中「いい子」だったか?

Santa Claus only brings presents to them that’s been good all year. All the other ones, all the naughty ones, he punishes! What about you, boy? You been good all year?

精神病院のおじいちゃん
『悪魔のサンタクロース 惨殺の斧』

しかし「悪い子」とはなにか?

それは「大人の指示に従わない子供」であり、要するにこれは「プレゼントが欲しければオレの命令に従え」という、偽装された支配の首輪なのである。本作ではそのような大人の欺瞞が執拗に描かる。うるさい子供を黙らせ、セックスする場所を確保するためにサンタを持ち出す。その歪みが殺人サンタを生み出す。

図3:『悪魔のサンタクロース 惨殺の斧』

特に孤児院を支配する、独裁的な女院長は、明らかに狂信的で独善的な人物として描かれている(図3)。彼女は、クリスマスのトラウマを生じた主人公に何度も言う。「教育が必要だ」っと。それは立派な大人になるために必要なのだと。そして自分の考案したショック療法を強行し、主人公をほとんど虐待する(図4)。

これもまた、「救済」に偽装された支配と洗脳であり、この女院長は自分の思うがままに采配を振っていれば満足なのである。その当の院長自身は、己の善性にカケラも懐疑を抱かない、自己批判性の欠如した地獄の天使であるため、下手な悪魔よりよほど手がつけられない。

われわれの美徳は、ほとんどの場合、偽装した悪徳に過ぎない。

Nos vertus ne sont, le plus souvent, que des vices déguisés.

ラ・ロシュフコー『ラ・ロシュフコー箴言集』
図4:ベッドに布で縛り付け、体罰を加え、サンタの膝に無理やり乗せる女院長(『悪魔のサンタクロース 惨殺の斧』)

私はここに『カッコーの巣の上で』(’75)の独裁的な看護婦長・ラチェッドの類型を発見し、お気楽なスラッシャー映画を観ていたはずが、実にいたたまれない気分になってしまうのである。しかし本来、殺人鬼が出るまでの尺稼ぎであり、「前戯」に過ぎないはずのこの場面が、一番良くできているのではないか。女院長も迫真の演技である。

この映画に通底するのは、人間不信。「みんな、都合のいいこと言ってらぁ……」という諦念と憎悪。一人だけ主人公を信じるシスターがいるのが唯一の救い。

とはいえ、物語後半はやはり典型的な「パリピ皆殺し」系のポップコーン映画であり、なかなか独創性のある殺し方を除けば、特段目新しさがあるわけではない。セックスに明け暮れる「悪い子」を無差別に惨殺する姿は、ほとんどナマハゲである。

ただ最後に院長が絶叫する「サンタクロースなどいない」の意味など、考えてみると深い部分もある。この作品はおそらく、過激な暴力性を呼び水に利用した「逆エクスプロイテーション映画」であり、実際には、ヒューマニズムの裏返しとしての徹底的な露悪描写に満ちた、意外にも志の高い作品に違いない。

満足度:8/10

サンタクロースはいないのよ!
サンタクロースはいないのよ!

There is no Santa Claus!
There is no Santa Claus!

孤児院の院長
『悪魔のサンタクロース 惨殺の斧』

関連作品

本作を、予算をちゃんと用意して作ったのが『ジョーカー』(’19)……というのは言い過ぎかもしれないが、人間不信を根底に置いたダークヒーローモノというのは結構共通している。

『サンタが殺しにやってくる』(’80)は、スラッシャー映画に分類されるかもしれないが、毛色がちょっと違う。サンタに扮した両親のセックスがトラウマと化した男の倒錯や錯乱、社会に対する不満が中心となる。

日本では2作目の『悪魔のサンタクロース2 鮮血のメリークリスマス』までリリースされているが、なんとこの2作目、88分中の40分が1作目の映像の垂れ流しという、衝撃の手抜き続編である。しかし主人公が割と怪演だったり、映画内で手抜きを自虐したメタ的演出があるなど、スゴイのかゴミなのかよく分からない。殺し方もなかなか面白い。いやオススメはしないが。

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初版:2020/12/23 ―― 改訂: 2020/12/24

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