『偉大なるアンバーソン家の人々』(’42) / 名家を押し流す時代の流れ

2020/12/21 ・ 映画 ・ By 秋山俊
『偉大なるアンバーソン家の人々』

オーソン・ウェルズという監督は、革新性を追求しながらも同時に古典派であり王道型でもあり、彼の好む物語のフォーマットというのは大体決まっていた。第一に、壮大なサーガを感じさせる物語であること(『市民ケーン』)。第二に、文学的であり、悲劇的であること(『マクベス』『審判』)。

ウェルズにとって監督2作目となる、この『偉大なるアンバーソン家の人々』は、そのどちらも満たしている。取り分け『市民ケーン』(’41)との相似性に着目したい。

名家と時代

アンバーソン家の栄華は1873年に始まった。田舎の町が都会へと変わるまで、その栄華は何年も続いた。

冒頭ナレーション
映画版『偉大なるアンバーソン家の人々』

19世紀に隆盛し、静かな街の中でも尊敬を集めていたアンバーソン家に生まれた傲岸不遜の一人息子・ジョージが、時代とともに衰退し、没落するアンバーソン家の象徴として描かれている。母親の代から続く二世代にわたる恋愛譚を物語ったサーガであり、もっぱらジョージの青年時代を映しているにも関わらず、彼の人生を時代の変化や名家の没落に重ね合わせることで、壮大なスケール感が生まれている。

我がまま息子のジョージと恋人(『偉大なるアンバーソン家の人々』)

絶大な影響力や資金力をバックに尊大な振る舞いをするジョージが、最後は時代に見放されて“母の愛”に包まれるような展開は、まさしく『市民ケーン』に見た、巨大な孤城で独り死ぬ新聞王の「バラのつぼみ」への執着に似ている(「バラのつぼみ」が何なのかは、映画を観て確認していただきたい)。

機械に潰されるアンバーソン家

この映画で面白いのは、次世代であるはずのジョージが、むしろ保守的で、名家アンバーソン家を象徴している一方、既に老人である母の昔の恋人・ユージンの方が進歩的で、自動車の量産に乗り出している点である。このねじれた対立の構図が明らかになる中盤から、物語は俄然面白くなる。

自動車に対し、ジョージは「発明されたことが間違いだ」と、テクノロジーへの不信と敵対を隠さない。そのそしりを受け、自動車産業で先陣を切るユージンが、意外にも素直に認める。

彼は正しいかもしれません。文明を退化させる機械です。いいことばかりではないかもしれません。それは定かではありませんが、しかし自動車の時代が来ていることは事実なのです。

ユージン
『偉大なるアンバーソン家の人々』

つまり「良い悪い」ではなく、自動車は「時代の必然」であり、人の価値判断でどうなるものでもない、ということである。

「発明可能なものは発明されてしまう」という類の言葉がある。核兵器だろうとディープ・ラーニングだろうと、人は作れるのであれば、それがどんなに破滅的な可能性に満ちていても、知的生命のサガ、あるいは資本主義のサガとして作ってしまう。仮に過去へ行けるタイムマシンが作れるとしたら、どんなに人々が団結して阻止しようとしても、やはり誰かが作ってしまうだろう。そしてそれが何らかの手段で流通してしまうだろう。

『偉大なるアンバーソン家の人々』

全体のテーマとして「とめどない時間の流れ」というのがある。時代の変化。産業の変化。名家の没落。あんなにも栄華を極めたものが衰退し、変わってしまうという“わびしさ”。がらんどうの家に佇むジョージが紙風船のように儚い。

たった1時間半のドラマで、その大河的な壮大さを感じさせてしまう点に、私は脚本の卓抜を発見する(なお原作モノだが、脚本はウェルズ本人が担当)。機械を害悪として非難するジョージが、没落し、後に自らの身をもってその害悪性を強烈に証明してしまう点、あるいは名家の象徴が、まさに機械のアイコンによって潰されてしまう点にこそ、悲劇の真骨頂がある。

当のウェルズは、ズタズタに編集され、30分以上もカットされまくった本作に強い不満を抱いたらしく、確かにウェルズ的な大胆なカットや長回しなどが見られない感じはするが、私は、優れた作品だと感じる。前半がやや退屈ではあるが。

なおウェルズ監督の『黒い罠』(’58)においては、ウェルズの死後に彼の構想通りのカットを修復した「完全版」が公開されているが、本作については、オリジナルのフィルムが紛失しており「完全版」を出すことは今の所不可能らしい。

満足度:8/10

Blu-ray ディスク短評

IVC『偉大なるアンバーソン家の人々』Blu-ray

IVCが出している『偉大なるアンバーソン家の人々』Blu-ray版だが、かなり品質が悪い。全体的に白んだ感じでコントラストが最悪だし、フィルムに傷が非常に多く常時ノイズや縦線が入り、おまけに自慢のリニアPCM音声も、常にノイズが乗っているときてる。

マスターの状態が悪いというのもあるかもしれないが、さすがにこれはあんまりである。レビューでは「メディアディスクから出ているDVD版の方が画質が良い」という書き込みまであり、手抜きっぷりは瞭然である。たまたま安く手に入ったから日本語版を買ったが、私はCriterion版を買い直すことを検討している。

セット販売で一緒に売られた『市民ケーン』もそうだが、映像のポテンシャルを引き出せているとは到底思えない。オーソン・ウェルズの墓石に耳を当てれば、土の中から轟く彼の抗議が骨伝導で聞こえるだろう。

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投稿: 2020/12/21 ― 更新: 2020/12/22
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