
『ターミネーター』(’84)の元ネタの1つである『ウエストワールド』という1973年の映画を観返していた。これは「物語が乗っ取られる物語」である。
主人公らが訪れるのは、人間そっくりのアンドロイドたちが稼働する西部劇風のテーマパークで、そこでは好き放題悪人役のガンマンを殺し、女とセックスできる世界が広がっている。ところがある時、決闘で敗けてくれるはずのアンドロイドが、なぜか決闘に勝ってしまい、すなわち人間側を射殺してしまい、テーマパークが地獄と化す。
『ウエストワールド』は、『ターミネーター』がそうであるように、見方によってはホラー映画とも言えるが、それは「勝つはずのない悪役が勝って、物語が乗っ取られてしまう」からである。

結末の横領
たとえば子供向けのアニメとかでも、ある回で突如、ピカチュウが心の臓をえぐられたらビビるし、プリキュアが撲殺されたら泣くだろう。なぜかというと、それは異常で、いつも通りと見せかけながら、予定調和がいきなり狂わされるからである。
物語の乗っ取りとはなにか?
それは「結末の横領」である。
ここでデリダのフレーズを拝借すれば
「それまで何度も通過した物語のパターンをそのままたどり、そのやり口を理解し、その詭計 (きけい) を借り、その持ち札で勝負し、観客を思う存分酔わせておいて、最後に結末を横領してしまう戦略」が実行されている。
つまり
ヒーローが戦う -> ピンチになる -> 逆転
ではなく
ヒーローが戦う -> ピンチになる -> そのまま死ぬ
このような唐突なルーティンの破壊、物語の乗っ取りが起きたとき、観客はショックを受けてしまうのである。
ウルトラマンの敗北
個人的な体験でいうと、幼稚園のときに、初代ウルトラマンの最終回を観たら、失禁しそうになった。ウルトラマンが殺されてしまったのである。

寄り目巨人、すなわちウルトラマンは、怪獣と戦い、カラータイマー(スヌーズ機能がなく近所迷惑)が鳴り出してピンチになったら、スペシウム光線を放って、地球を救って終わり、というのが予定調和である。だが最終回だけは違った。
途中まではよかった。しかしピンチになり、カラータイマーが鳴り響き、スペシウム光線撃ったのに、当たり前みたいにハネ返されて、ゼットンに抹殺されてしまったのだ。
私は「はっ?」っと思った。
「ウルトラマン殺されたんですけど?」

なぜ全国の園児はこの場面を見て、絶望でブリーフを湿らせたのか?
それはこの、ウルトラマンが大地に伏した瞬間に、作品世界の法と秩序までもが転倒し、物語の支配者たる存在が、ウルトラマンから敵の怪獣に移行してしまったからである。観客は突如として、予定調和を愉しむ立場を剥奪され、行く先のわからない混沌たる物語の渦中に投げ出されてしまったのだ!
つまりこれは結婚詐欺である。途中までウルトラマン逆転を演出しておきながら、子供たちの期待はぬけぬけと粉砕された。スペシウム光線を吸収されてしまったウルトラマンが「えっ?!」っと挙動不審になっているが、子供たちの狼狽はそれどころでなかった。
ちなみに『ウルトラマン』のこの場面、構想段階では倒れたウルトラマンのカラータイマが叩き割られるという、残酷な処刑シーンすらあったらしいが、あまりにも悪魔的なのでカットされたらしい。
シリーズものの最終回とか映画版だけが妙に怖くて、心胆寒からしめる感じがするのは、こういう異常事態がまかり通るからだろう。
こんなの絶対おかしいよ!
鹿目まどか