映像の快楽とポストモダンのSFたち――『トータル・リコール』ラジオ文字起こし

2020/11/30 ・ 映画 ・ By 秋山俊

『トータル・リコール』というのは1990年に公開された、シュワルツェネッガー主演のSF映画で、この映画のストーリー紹介と解釈については、以前の『トータル・リコール』解説動画の中で、かなり詳しく扱ったんですけど、現在、30周年記念として4Kデジタルリマスター版が全国で上映されているので、良い機会なので、以前の解説動画の中では話しきれなかったことについて、なるべくネタバレを避けて語ってみようかなと。単純娯楽作品に見えるけど、実はかなり特徴的だし、語るべきポイントの多い作品だと思うので。

今回のラジオの構成としては、まず前半に、「『トータル・リコール』は、攻撃力全振りの痛快ゴリ押し映画である」という話をした後、後半では80年代から90年代のSF作品に見られた「記憶移植」という要素と、SF映画の問題意識について話そうかなと思います。

ストーリーについておさらいするとですね、『トータル・リコール』の世界というのは、記憶を移植できるようになった未来社会で、人々が記憶移植によって他の惑星を旅したり、あるいは別人になった体験を楽しんでいるんですけど、そんな未来である男が火星に行く記憶を移植してもらうよう依頼したところ、逆に、その男の現在の記憶自体が実は偽物であったことが発覚して、今まで本物だと思っていた生活が崩れてきて、命まで付け狙われる、という感じになっていて。

『トータル・リコール』1990年

映像の快楽

それでまず『トータル・リコール』はなぜ今観ても面白いのか、ということについて、この映画って、何回観ても面白いタイプの映画なんですよ。今年の5月に解説動画作る際に、2回半くらい観直したはずなんですけど、昨日観たらまた面白くって。映画の面白さのバリエーションというのも無数にあるんですけど、この映画、というよりバーホーベン監督の作品って、映像力でゴリ押ししてくるタイプの作品じゃないかと。RPGで言うと、攻撃力に全振りしていて、防御していてもガードの上から相手をふっ飛ばすような作品。

どういうことかというと、ポール・バーホーベン監督という人は『ロボコップ』(’87)や『スターシップ・トゥルーパーズ』の監督をした人で、この監督のこの時期の、全盛期の作品って、ほとんどの人が観て、面白い!って思える。それはなぜかというと、映像の快楽というものに、極めて忠実かつ、強烈に沿って作られているから、単純に映像そのものが観ていて楽しいし心地良いんですね。

じゃあその映像の快楽というのが何かというと、これはすごい単純な話で、暴力とエロとグロなんですね。人間は暴力とエロとグロの映像に、本能的に、無条件に注目してしまうという習性があって、これはどんなに頭が良い人でも変わらない。

たとえばYouTubeにしても、サムネイルにこの3要素が入っていると、ほぼ確実にクリック率が上がるし、動画の視聴者維持率という、動画のどの地点がどれだけ見られているかというグラフを見ても、女の人がアップになっていたり下着姿の画像が映っているシーンというのは、視聴者維持率が上昇するんですよ。だからたとえば低予算のホラー映画なんかは、必ずエロ・グロシーンを入れて、低予算で観客の興味を引っ張ろうとするんですね。

『トータル・リコール』

で、バーホーベン監督というのは、この暴力・エロ・グロの3要素を、極めて異次元なレベルで映画の中に盛り込む人なんですよ。たとえば『トータル・リコール』では、映画が始まるといきなり火星に立っていたシュワルツェネッガーのヘルメットが壊れて、彼の顔が膨張する場面から始まるでしょう。まずこの時点で大抵の観客は「すげぇ!」「何だコリャ!」「面白い!」って言いますよ。顔が膨れて目玉が飛び出すシュワルツェネッガーっていうパワーコンテンツ出した時点で勝利してる。

以前の解説動画の中では、このことを「画がパワフル」という風に表現したんだけど、ストーリー云々の前に、まず映像自体に観客を惹きつけて楽しませる要素がふんだんに盛り込まれている。3要素の残りの要素のうち、エロ・グロに関しても、悪女役のシャロン・ストーンはものすごくエロいし、火星のエイリアンのデザインもグロテスクでインパクト抜群。

『トータル・リコール』

もちろんそれには、監督だけの力じゃなく、特殊メイクを担当したロブ・ボッティンの卓越した手腕などもあって、必要な人材が十分に集まっていたからこそ、これだけのものができた、という部分も多分にあるわけですけど。この特殊メイクの人は『遊星からの物体X』なども担当していた人ですね。で、しかも音楽はジェリー・ゴールドスミスという大御所が担当しているから、すごく盛り上がるし。監督・脚本・俳優・メイク・音楽を80年代後半のオールスターで固めた作品なんですよ、実は。

暴力=残酷ではない

さらに言うとですね、バーホーベン監督は暴力を多用して、派手でインパクトに残るアクションを作るんだけど、暴力が必ずしも残酷には描かれていない。暴力のイメージを的確にコントロールしている。だから人の腕がもげたりして、ものすごく暴力的な映画なのに、鑑賞中は全然気分が悪くならないし、むしろスカっとする娯楽大作に仕上がっている。映画の世界では暴力=残酷ではないんですよ。

『トータル・リコール』

『ロボコップ』でもそうだけど、バーホーベン監督はむしろ、暴力をユーモラスに撮って笑える場面にしてしまう。たとえば『トータル・リコール』の中で、憎い敵役の相手の両腕がもげて、主人公がそれを捨てるシーンは、ほとんどギャグみたいになっているし、『ロボコップ』でも最初の警備ロボットが暴走して役員を撃ち殺すシーンはコメディでしょう。一方で、『ロボコップ』の素体になったマーフィーが悪党どもに滅多撃ちにされて死ぬ場面は、とんでもなく残酷に描いていて、思わず目を背けたくなる。

そういうメリハリが非常にしっかりした監督で、暴力・エロ・グロを全面的に散りばめてインパクトを出しているにも関わらず、映像が下品になっていない。それどころかスピルバーグ作品にも匹敵するような痛快娯楽大作になっている。これはスゴイことですよ。

この観点から観ると、実はバーホーベン監督の代表作というのは、いつもこの3要素をテコにして仕上げていることがわかる。

バーホーベンの盛り込む面白シーン

それともう1つ言うと、必ず観客が忘れられないような印象的なシーンを映画の中に仕込んでくる。

『トータル・リコール』

『トータル・リコール』でいうと、それはタクシー運転手のロボットであるジョニーとか、おっぱい3つある人とか、2週間おばさんとか。『トータル・リコール』の動画につくコメントとか読んでていても、話の内容は忘れたけど、おっぱい3つある女の人のことは覚えてる、ってコメント残す人が必ず現れるから。他の作品でいうと『ロボコップ』のTVCMの「1ドルで愉しむべ~」のおっさんとか、『氷の微笑』(’92)でシャロン・ストーンがノーパンで足組み替えるシーンとか。こういったシーンは思わず人に伝えたくなるし、記憶に残るし、こういった部分が面白いからまた見返すっていう部分もある。

こういう風に、バーホーベン作品というのはストーリー以前に、観客に対する画面の威力というか、映像の基礎攻撃力が高すぎるから、次々出てくる面白い画を眺めているだけで快感で、また観たいと思わせる作品になっている。

アイデンティティを巡って

『トータル・リコール』というのはこういう風に、まず映像そのものの快楽に溢れた作品なんですけど、それだけでもなくて、『ブレードランナー』の原作者であるフィリップ・K・ディックの小説が元になっているだけあって、SFのテーマとしても、「90年代の作品だったらコレ扱わないといけないでしょ」って部分に、ちゃんと触れているんですね。だからヒットした部分もあると思います。

それは何かというと、根本的な部分においては『ブレードランナー』と同じで、自分は何者なのかという、テクノロジーの発達によって曖昧になってしまう、自己同一性やアイデンティティの問題で、これはTwitterの方でも少し言及したんですけど。

つまりこの映画では、記憶移植というテクノロジーが普及することによって、自分は生まれたときから自分である、という同一性が危機に晒されていて。記憶を移植されてしまうと、それは自分の体験と全く同一のリアリティを持っているから、移植された偽の記憶と本来の記憶を区別することができず、主観的にはどちらも同じになってしまう。

『トータル・リコール』

だから「5分前仮説」という思考実験にある、この宇宙が5分前にできたのかもしれない、自分という記憶や体験も5分前にいきなり生じたのかもしれない、というのと同じで、『トータル・リコール』の世界でも、自分は何十年も自分として生きていたつもりだったけど、もしかしたらその何十年分もの記憶を昨日移植されて、本来の記憶は消去されているのかもしれない、という疑惑が湧いてくる。

実際に『トータル・リコール』の世界では、物語がまず、主人公が本当の自分だと信じ込んで生活していた、しがない肉体労働者というアイデンティティが虚偽のもので、実は凄腕エージェントというのが明らかになるんだけど、物語の終盤の方で、捏造された人格である主人公が、この「本来」の人格に戻るべきか、という問題が浮上する。この「本来」という単語は、カッコ付きの「本来」なわけですけど。

本来の自分とは何か

つまり「どっちが本物の自分と言えるか?」という問題で、もちろん「本来の自分に戻るべきである」というのが、まず第一に浮かぶ考えで、主人公も「本来の自分」というものを取り戻そうとするわけだけど、この考えが途中で揺らいでしまう。

冷静に考えてみると、記憶を消去された時点で、この「本来の自分」というやつは人格的に死んでしまっているわけで、新たに生み出された「捏造された自分」というものは、その人格の発生原因がなんだろうと、既に動き出した新たな人格であり、新たな一個の生命、新たな魂と呼べるわけだから、既に消滅してしまった元の肉体の人格に統合される義務なんてないわけですよ。

それは新たに生まれたクエイドという人格にして見れば、一種の自殺にも等しいわけで、「オレはもう生まれたんだから、最初の人格のことなんか知ったこっちゃねぇ」という風に生きることだってできる。それに対して人格を生み出した側は「おまえはただの夢に過ぎない」と迫るわけですけど。

『トータル・リコール』

これについて作中では答えが提示されていて、それはレジスタンスのクアトーが言う「おまえはおまえの行い通りの人間だ。人は記憶によってではなく、行動によって規定される」という言葉。ちなみに日本語字幕だと「人の価値を決めるのは行動だ」になってるんですけど、原文に忠実に訳すと「その人を定義するのはその人の行動である」ということを言っています。だから主人公は、自分の意志で行動して、新たな自分を定めようとする。

『ブレードランナー』や『マトリックス』にも共通するテーマ

これは『ブレードランナー』と共通するテーマで、あの映画でも一番重要なテーマは「何が人とレプリカントを分かつのか」というもので、レプリカントというのは寿命が定められた人造人間なわけですけど、そのレプリカントが反旗を翻して、人間として寿命を全うしようとし始める。

ここで「何を言ってるんだ。おまえは人造人間であり、それが事実なんだから、それ以外は現実逃避なんだ」といった言説は弱いんですよ。そもそも生物学的な線引きなんていうものが、人間の定めた恣意的なものであり、その境界は常にスペクトラムなわけだから。行動こそがその存在を規定するのなら、日々を奴隷のように過ごす人間こそ、レプリカントであり、反旗を翻して自由を求めるレプリカントの方が、よほど人間的ということにもなり得る。

『ブレードランナー』1982年

『トータル・リコール』も『ブレードランナー』も、自分が絶対だと信じていた世界の基盤が動揺し、新たな自己を自分で定義する、という点で共通していて、そういう点でポストモダンなSF映画であると言えるわけです。これがモダン、つまり80年くらいまでの典型的な近代の物語の場合、主人公の存在というのはもっと定まったものであって、物語も「元々の自分を取り戻す」という方向へ向かうんじゃないかと。

つまり「この世には確かな、不動の、客観的な真実がある」という思い込みこそが、近代的な思想の限界で、その「確かな真実」というやつは、『トータル・リコール』の場合で言えば、記憶を書き換えられる前の自分になってしまうわけですよ。でもそういった近代的な限界を克服しているから、この2つの物語は今でも通用するんですね。まあここ数年は、逆にあまりにも真実というものを無力化してしまったポストモダニズムへの批判も強まっていますけど。

ちなみにこの「自分はもしかしたら自分ではないかもしれない」というアイデンティティの動揺を、さらに拡大して「この世界は本来の世界ではないかもしれない」という風に持っていったのが、仮想現実を舞台にした『マトリックス』(’99)であって、その中でも主人公はアンダーソンとネオという、2つの人格の間で揺れ動くんですね。

それでライバルのスミスとの対決で、「おまえはアンダーソンだ。おまえは平凡な人間だ。それがおまえの運命だ」と宣言されたあとに「オレの名前はネオだ!」と、自分のアイデンティティを自ら決定した瞬間に、それまでにない力を発揮する、という場面があります。

こういう風に、ポストモダンを代表するこれらのSF作品は、根底に共通した問題意識というのを抱えていて、何もかもが不確かな時代に自分の定義を自分で選び取る、という答えを提示している点でも共通している。これはあらゆるメディアで表現されるSFで同時多発的に起きていることで、日本のマンガ/アニメで言えば『攻殻機動隊』がそうだし、海外のPCゲームで言えば『Deus Ex』がそういうゲームだった。

まあ『トータル・リコール』の場合は、さらなるどんでん返しというものも用意されていて、それは以前の解説動画で長々と語ったことなので、そっちに譲りますけど。『ブレードランナー』とか『マトリックス』なんかも、極めて重要な作品なので、遅かれ早かれ別の動画の中で色々語っていくと思います。

そろそろ話が逸れてきたので、今回はこの辺にしておきましょうか。結構長く話しましたね。ご視聴ありがとうござました。

以前作成した解説動画

こちらは主にストーリー解説(後半が解釈)

映画の記事一覧

LINEで送る
Pocket

投稿: 2020/11/30 ― 更新: 2020/12/04
同じテーマの記事を探す
関連記事
コンテンツ
文客堂について