『ウエストワールド』は早すぎた反ユートピア映画【ラジオ】

2021/02/09 ・ 映画 ・ By 秋山俊
『ウエストワールド』1973年

今回紹介する『ウエストワールド』という映画は、一言で言えば早すぎた作品。もちろんすごい作品。

映画の内容が面白いってだけじゃなくて、非常に先進的。他のSF映画の10年20年先を行くようなことを実現していて、それが『ターミネーター』といった後のSFに大きな影響を与えたので、現在の様々なSF映画に未だに影響を与え続けているという。

この映画は『ジュラシックパーク』の原作者である、マイケル・クライトンという有名作家が、1973年に自ら脚本を書き監督までしたという、小説家の映画監督デビュー作という意味を持った作品なんですけど。

アンドロイドたちのテーマパーク

内容は簡単に言えばテーマパーク型の、一種の仮想現実的な生活を楽しむ世界で、主人公たちは西部劇の世界に行くから、タイトルが『ウエストワールド』なんですけど、この映画の特徴の1つは、それが現実に存在するテーマパークだということ。

『ウエストワールド』

つまり実際に隔離された場所に西部開拓時代風の街並みが作られていて、そこでは人間と全く同じ外見をしたアンドロイドたちが、西部劇の登場人物を完璧に演じている。大金を払ってこの場所にやってきた客には、アンドロイドと人間の区別がほとんどつかない。違いは、アンドロイドの手には客はそこで開拓時代風の生活を送りつつ、アンドロイドが演じる悪役ガンマンを倒したりして、映画の主人公気分を味わえるというテーマパークになっている。

そこに、このテーマパーク初体験の男と、リピーターの友人が一緒にやってきて、戸惑いながらもどんどんこの世界にハマっていくっていうのが、物語の前半の内容。ただこの夢のテーマパークも、次第にエラーが蓄積されてきて狂っていき、最終的に暴走してしまうというSFホラーで。

後の映画への多大な影響

これってまさに、『マトリックス』『トータル・リコール 』のような、仮想現実SFの先駆けとなる内容ですよ。それがコンピュータ上ではなく、本当の世界で起きている、という違いはあるけれど、そこを訪れたゲストにとって見分けがつかないという点で、やはり本作も広い意味での仮想現実モノのSFであると言えるし、人間同様の不死身のアンドロイドが襲ってくる点では『ターミネーター』と一緒だと思いますね。

『ウエストワールド』

現に『ターミネーター』のキャメロン監督やシュワルツェネッガーは『ウエストワールド』のファンで、殺人マシンが何度倒れても再起動して襲ってくるという描写は、明らかに影響を受けていて。『ウエストワールド』のガンマンのアンドロイドが無表情でひたすら歩いてくるシーンは、『ターミネーター2』のT-1000の無表情ダッシュを思わせる。機械を使ったゾンビ映画の先駆けとも呼べるかもしれないし、そういう点では立派なホラー映画。聞いた話だと『ハロウィン』のブギーマンが何度殺されてもむくりと起き上がるのも、本作の不死身のロボットからヒントを得たらしいです。

さらに現実テーマパークが暴走する、というアイディアを膨らませたのが、同じ原作者の『ジュラシック・パーク』であって、こういったことを考えると、『ウエストワールド』は20世紀後半の数々の大ヒット作の原型と言えるわけです。

『ウエストワールド』の先進性

本作のすごいところは、この世界観を1973年の時点で映像作品として落とし込んでいるところ。1973年って、まだ『エクソシスト』(’73)とかの時代ですからね。CGとかも全然未発達で。ちなみにこの作品の中では、アンドロイドの視点になって、ピクセルで表現された視界というのが映るんですけど、これも当時としては非常に先進的な試みで、実現に苦労したそうです。

『ウエストワールド』

こういった世界観を1973年の時点で、高い完成度で映像作品にしてしまったのがすごい。映像で最初にやる人って、イメージを一から起こさないといけないから大変なんですよ。さっきも言ったように、この映画の表現を『ターミネーター』(’84)が模倣し、それを他のSF映画も模倣したから、本作は様々なSF映画の表現の基本フォーマットを作ったと言えて。ポストモダンなSF映画の初期の頃の作品と言っていいんじゃないかと。これはドイツのファスビンダーが、同じく1973年に撮った『あやつり糸の世界』という仮想現実系SFと双璧を成すと思います。

ちなみに『あやつり糸の世界』は『マトリックス』(’99)的なバーチャル・リアリティを完全に先取りした映画で、ヘルメットで仮想現実に接続して、公衆電話で帰ってくるという、『マトリックス』の元ネタになった作品。これと『ウエストワールド』が同じ年に出たのは、単なる偶然とは思えないほどで。

反ユートピア映画

話を映画の内容に戻すと、この『ウエストワールド』の世界では人型ロボットたちは完全に人間への奉仕役で、決闘を申し込まれれば負けなければならばいし、セックスを求められれば拒むことはできない、という設定になってます。

具体的にはロボットの攻撃は人間には当たらないので、絶対に負けるという筋書き。つまり『ウエストワールド』はそのファンタジーな作りとは裏腹に、ロボット相手に暴力とセックスを楽しむ、アダルトなユートピアとして設計されているけど、これが次第に破綻してくる。だからこの世界は、ディストピアではなく、反ユートピア映画なんですよ。歪みが蓄積されることで、ユートピアはいずれ破綻するよ、という悲観論を提示した映画。

『ウエストワールド』

物語の中で、テーマパークの登場人物の1人が、殺されたクセに主人公たちの前に何度も登場するというシーンが出てくる。これはシステムのバグとして発生するんだけど、ある時、必ず決闘に敗けてくれるはずの、このテーマパークの登場人物が、平然と相手を撃ち殺してしまって、主人公が腰を抜かす場面があって、ここから全てが完全に狂っていくんですけど。

物語の乗っ取り

この映画の恐ろしさとして、物語が少しずつ、提供者側の用意した筋書きから外れて、歯車がしだいしだいに狂っていく恐怖というのがあって。その恐怖というのを細かく言語化すると、「物語が乗っ取られてしまうことの驚愕と唖然」みたいなものだと思うんですけど。

予定調和だと思っていた筋書きが、その筋書きの構造そのままに、結末部分だけ突如として強奪されてしまう。「えっ?なにそれ?話が違う」みたいな感じで、起こってはいけないことが起こる。

『ウエストワールド』

この映画の中でも、平和だったローマで市民が殴り合いを始めて地獄絵図みたいになるし、後半になると客を撃ち殺した西部劇のガンマンが、ボーダーを超えて他のエリアへどんどん移動してきて、古代ローマの庭園を西部のガンマンがズンズン歩くという、異常な画が出来上がる。流れる劇伴も狂ったような感じで、全体がどんどんおかしくなってしまう。

映画版『ドラえもん』はなぜ怖かったのか

「異常がまかり通る映画」とか「物語が乗っ取られる映画」で他に思いつくのは、たとえば『ドラえもん』の映画って、子供の頃は怖かったんですよ。最近のは観てないけど、80年代と90年代の『ドラえもん』映画は怖かった。なぜかというと、映画版では異常事態がまかり通るから。ドラえもんが壊される話とかもあって。

昔のドラえもんの映画が怖いのって、『ドラえもん』は本来平和で、物語世界が保護されているはずなのに、映画版だと平気でレギュラーメンバーが誘拐されたりドラえもんが壊れてしまうから、そのギャップが子供には恐ろしいんだと思うんですけど。つまりドラえもんが拷問されて海に沈むという描写自体が、極めて異常で悪夢的な感じがするし、起こるはずのない出来事が起きているという感覚がある。漫画版とTV版で平和なルーティンにすっかり慣れてしまってるから。

いくつかある『ドラえもん』映画の中では『パラレル西遊記』が一番怖くて、トラウマ映画として有名だけど、あれこそまさに「物語が乗っ取られてしまう物語」。西遊記の物語がモチーフなのに、話がどんどん狂ってしまう。物語の世界が暴走して現実世界まで侵食していって、のび太の父親がトカゲのスープ飲んだりしている。平然と異常事態が進行しているのが怖くって。

逆に言うと、ちょっと話題が逸れてたので話を『ウエストワールド』に戻すと、アンドロイドの反乱というのが、彼らが夜中に一致団結して、みんなで暴動を起こすだけだったら、怖い話ではないと思うんですよ。それだと「単に彼らが反乱を起こした」ってだけの、合理的な革命運動に過ぎないわけだから。

コンピュータの暴走

なんでアンドロイドが反乱を起こすのかについては、実は劇中だと詳しくは分からないんですけど、面白いのが、一人の職員が、この時代には一般に全く知られていなかった「コンピューターウィルス」の概念を持ち出すことで。

『ウエストワールド』

世界最初のコンピューターウィルスは1971年の「クリープ」だと言われているんだけど、この映画のウイルスは今日的な悪意あるプログラムではなく「コンピューターがひく風邪みたいなもの」として認識されていて、その風邪がどんどん蔓延するという、純粋に病気のメタファーで説明している。つまり『ウエストワールド』の世界では、機械を人間の隠喩で捉えていて、人間社会で政府や企業がどんどん歪んで破綻していくように、マシンの社会もエラーの蓄積で破綻するという考えになっている。

機械の知恵は信頼できるか

もう1つ注目すべきは、なぜそういった原因不明のエラーが蓄積されているのかという議論の中で、「機械によって作られた機械もあるから、専門家にも全ては分からない」というセリフが出てくる点。これは50年経った現代で、ようやく身近になってきた考えですけど、これが70年代前半に出てきているのも『ウエストワールド』の凄さですよ。

機械の発達によって、ブラックボックス領域がどんどん増えてきている。その「得体が知れないけど上手くいっている」部分をどんどん増やすことによって、文明は暴走してしまう、という話。

たとえば最近話題の深層学習も、そういう部分はあるわけで。あれは機械が「何に着目して学習すべきか」という、特徴量と呼ばれるものを自分で勝手に発見して自分で学習の方向を決めていくから、学習のメカニズムは人間に分かっていても、最終的にどのような出力がなされるかは計り知れない部分もある。将棋や囲碁みたいに、完全に人智を超えたレベルに到達する可能性もあるけれど、到達したとしても、機械はなぜその答えに達したのかを論理的に示せないから、参考にしかならないわけです。生物の進化と似たようなもので、「よく分からないが、上手くいくから上手くいってる」というトートロジー的な循環の論理でしかなくって。優れた成果を出力できても、根本の論理が分かってないから、想定外の事態にぶつかると、とんでもない誤作動を起こす可能性もあるわけです。

『ウエストワールド』

たとえば将棋の世界でもプロ棋士の永瀬王座が、コンピュータの陣地に角という駒を入れたのに、あえて不成(ならず)、つまり角を馬という強力な駒に昇格させないという、通常全く意味がない手を放ったら、あまりにも意味がなさ過ぎてその計算を省いていたコンピュータは、バグって自分への王手を見逃して死んでしまうという事件があって。

こういう事象が身近な話題になっている今なら、似たような話を考えるのは難しくないけど、今挙げてきたような、未来の様々な問題を誰よりも早く先取りして映像化したからこそ、『ウエストワールド』はその後の多くのSF映画のオリジンになることができたのだと思います。

人間の順応性

そういうわけで、今観てもレトロな佇まいの中にモダンなテーマが描かれていて、面白い映画なんですが、実は前半部分は全然機械の暴走が起きないから、今観るとスローテンポだと感じる人も多いかも知れないんですけど、この前半の比較的平和なドラマをじっくり描いているのが、この映画のいいところだと思っていて。

この前半のドラマで描かれているのって「人間はどんな環境にも順応できてしまう」ってことなんですよ。西部劇のテーマパークに来た初参加の男が、テーマパークの世界で人間そっくりのアンドロイドたちを、最初はおっかなびっくり撃ち殺していたのに、どんどん順応していって、しまいには銀行強盗を放置して女アンドロイドとのセックスに勤しむようになる。つまり、下手なガンマンごっこよりセックスの方が愉しいってわけで。

『ウエストワールド』

この映画の問題提起って、アンドロイドをサンドバックに遊ぶことより、むしろセクサロイドが出てきたら人間社会はどうなるか、ということにあるの「かも」しれない。映画の中のセクサロイドは、完璧に男にとって都合の良い女を演じているから、テーマパークの客にメロメロになって、好きなだけセックスさせてくれるんですけど。

こういうセクサロイドが実現した場合、未来人の人生はマイホームと理想のセクサロイドを買うことがゴールになりそうな気がする。セクサロイドについて論じた本の中には、完璧なセクサロイドの実現は2050年あたりで、未来の世界ではどこかへ移動するときも、自動運転の車にドライブさせて、ロボットとカーセックスしながら目的地に向かうとか、なんだか愉快な予測もあって。セクサロイドの誕生は、性風俗のシンギュラリティになり得るけど、現状を見る限りは、セックス・シンギュラリティを起こすのは、ロボットより先にVRの世界という可能性も高いと思ってて。既に触覚をシミュレートする機械も出来始めているし。それこそ『ブレードランナー2049』にあったような世界が先に実現するんじゃないかな。

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投稿: 2021/02/09 ― 更新: 2021/03/04
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