地上最クソ映画『KUSO』解説文字起こし

2020/10/25 ・ 映画 ・ By 秋山俊

2017年1月、映画界にとある物体が彗星の如く飛来した。その名は『KUSO』。その映画から横溢する、あまりに芳しい汚臭に対し、ある者は「ドラッグをキメた人間の脳内のような映画」と表現し、またある者は「予告編だけでお腹いっぱいになった初めての映画」と漏らす。しかしなんと、この映画の監督は有名ミュージシャンのフライング・ロータスであり、一見何の価値もない電波映画の背後には、驚くべき文化と歴史が存在したのである。

一体、『KUSO』とはどんな映画なのか?まずは『KUSO』のストーリーから軽く説明しよう。

『KUSO』の舞台となるのは、大地震の発生により人々の身体に謎の変異が発生するようになったロサンゼルス。そこでは奇妙な身体や性癖を持った人々が、思うがままに倒錯的な交尾にふけったり、道端で肛門の形をした生物を発見したり、首から生えてきた意思を持つデキモノに「パンツを脱げ」と命じられたりしていた。

それら、何を主張したいのかサッパリ分からない、精神錯乱的ショートストーリーが延々と繰り広げられるというのが『KUSO』の全体構成である。

『KUSO』2017年

例えば映画が始まると、ベッドで寝ていた男性の首を背後から女性が締め始め、男性は絞められたまま絶頂に達し、ベロチューを始めるという、開始5分でトイレへ退却したくなるような、ハードコアかつ、何のための描写なのか理解に苦しむシーンが流れるが、その意味を解釈しようとする観客の懸命な努力は、その辺の肥溜めにでも打ち捨てられ、続いて教室で巨大な屁をこいた少年のケツに教師が顔を近づけてクンカクンカするシーンがスクリーンを汚し尽くし、かと思えば、その後で謎のクイズ番組が唐突に始まり、「死んだあの子を生き返らせるか、グラスに入ったツバを飲み干すかを選べ」と、何を問うているのかすらも理解できない、途方もない究極の選択を迫られたりする。またしまいには、女性の胸を直視できなくなる奇病にかかった男が、ドクターを名乗る男のケツの穴から出てきた生物の体液を浴びて奇病を治そうとするエピソードも出てくる。

今私が紹介した内容の意味がサッパリ理解できないと思ったに違いないが、この映画は全編がこんな感じで、ドラッグをキメた中毒者が見た白昼夢をそのまま書き殴ったとしか思えない、支離滅裂な脚本になっており、話が理解できないのは観客の頭ではなく脚本が壊れているからである。

念のために、今紹介したクイズ番組の部分のセリフを全て読み上げてみせよう。

『KUSO』

「結婚式のケーキに兄弟を混ぜましたか?当たればモーテル600泊です」
「答える前に自身の存在の証明を」
「そうね、妥当だと思うわ」
「ではあの子を生き返らせるか、またはこちら、地元農業組合から頂いたツバを飲み干してください」

このような、便器になだれ込む洗浄水のごとき意味不明展開の渦に、観客はあっという間に押し流され、そして最後まで押し流されっぱなしのまま映画が終わってしまい、観客に物語を解釈させる余裕など1ミリも与えない、目眩のするようなKUSO展開が奔流となって押し寄せてくる。それが『KUSO』である。

しかし心配はいらない。この動画を最後までご覧いただければ、きっとあなたも『KUSO』がどういう映画なのか、何となく分かるはずである。

『KUSO』とは一体何なのか?

この『KUSO』という映画の特徴を並べるとこうなる。

  1. 大地震でおかしくなった世界で繰り広げられる群像劇である
  2. 何の説明も前触れもなしに別の場面へと次々にジャンプしていき、初めて観るゴダール映画並に意味が分からない
  3. 登場人物のほぼ全員の顔に巨大な吹き出物や傷跡がある
  4. 蛆虫がところどころに出てきては、生々しく潰される
  5. 劇中で何度も、唐突に古いCGで描写された妄想世界に入り込み、そこでハードコア・ポルノ並のマジでエゲツないエロ描写が反復される
  6. ナンセンスなTV番組が幾度も挿入される

映画に詳しい人向けに、グロ映画の巨匠であるクローネンバーグ監督作品でたとえると、『裸のランチ』と『ザ・フライ』と『ビデオドローム』を足して7で割ったような映画であり、漫画で例えるなら漫☆画太郎と蛭子能収の世界観を悪魔合体させたような感じである。

『KUSO』

が、本作のストーリーを言葉で説明・解釈するのは不可能に近い。何故なら映画の中で行われる行為はどれも、監督が観客に見せつけたいがための、変態描写のため変態描写であり、倒錯的行為それ自体が自己目的化しているとしか言いようがなので、そこにストーリーと呼べるものがほとんど存在しないからである。中には序盤で登場したシーンが後のクソ展開に繋がる伏染となっており「ははぁ、あのクソとこのクソがここで繋がるのか!」と、思わずゲロリとしてしまう発見もなくはないが、全体として意味不明な点では一貫している。

本作を前にして、世の評論家や学者たちは、様々な小難しい解釈を並べ立てるかもしれない。例えば出口を間違えたマリオのように、便器の底から顔を出して話しかけてくる謎の男に何か重要なメタファーを見出したり、時折何の前触れもなく挿入される汚物まみれのポリゴンの幻覚シーンに、フロイト的夢解釈を当てはめてみせる精神分析的アプローチを試みる解説本が存在してもおかしくはない。が、ハッキリ言ってそのような『KUSO』に対する解剖行為は、まさにクソほどの役にも立たない。

果たして『KUSO』とは何なのか?

それは一言で言えば、クソである。しかし「『KUSO』はクソである」という、一見明白な事実に辿り着くには、実はいくつもの歴史的考察や文化的背景を読み解く必要がある。

KUSO文化の流れ

たとえば本作のタイトル『KUSO』は、元々は日本語の「クソ」なのだが、これは90年代から始まる日本のクソゲー・ムーブメントを受けて伝播されたものである。海を渡ったkusoは中国語圏全体に広がりつつ、次第に「ナンセンス」「パロディ的」といった意味を帯びるようになった。たとえば『少林サッカー』のような作品は、kuso的な要素を持つ映画と考えられる。kusoはこの後、インターネット文化と融合して世界に広がっていったものであり、かなり昔からWikipediaにも項目が存在するほどである。

kusoとは今日の小臭い<国際>社会において、もはや常識であり、“グロ”ーバルな人材であれば知っていて当然の単語なのである。kaizen, karaoke, kusoの3kは、世界のどこへ行っても通じる。まさに「世界のkuso」であり、日本人が誇りたくもないのに誇らされる恥部の概念が、文化の有機肥料として世界を肥やしているのだ。

そしてそのような日本のkuso的な映画たちに魅せられたのが、かつてのフライング・ロータス監督であった。彼のグロテスクで意味不明な世界観の原点は、彼の愛した深夜映画や、日本の『HOUSE ハウス』や『ナイスの森 The First Contact』といったカルト映画にあるという。本作はそのような日本のkuso文化へのリスペクトから生まれた作品であり、監督の芸術性を育んでくれた忘れがたきkuso映画たちのような作品を、自ら作ってしまった作品なのである。

つまり『KUSO』とは何か?という問いに対して、1つには「Kuso文化的な意味不明なシュール作品を、監督が意図的にデザインしたもので、ナンセンスで意味が分からないこと自体を楽しむ電波映画」と言えるのである。

ミレニアル世代の作家性

また彼の1983年生まれという年代を考えると、彼は80年代から90年代に子供時代を過ごした、いわゆる「ミレニアル世代」とか「ジェネレーションY」と呼ばれる芸術家であり、『KUSO』の表現には、彼の世代ならではのkuso的表現が顕れていると考えることも可能だろう。

この世代は人類の歴史において、最初期のデジタルネイティブ世代に相当し、幼児の頃からファミコンやセガサターンに触れ、黎明期のネット文化を体験したこの世代であり、あからさまなCGを、むしろ1つのノスタルジックな芸術表現として活用する向きがある。それは近年流行している、電波系の音楽藝術である「ウェイパーウェイブ」にも通じるものがあるだろう。

『KUSO』

こうして変テコなCGや、ブラウン管TVの映像の意図的な再現、MADムービー的なめちゃくちゃ感、いささか唐突な日本語の使用などは、いかにもミレニアル世代的なセンスであり、つまり『KUSO』は監督の生きた時代性や感性が強く出ている映画でもあるのだ。

ここでいま一度『KUSO』とは何か?という問いに立ち戻れば、それは「フライング・ロータス監督を育んだ、日本のkuso的な映画たちの忘れがたきkusoの思い出を、監督がかき集め、抱き集め、そこに自らの世代のkusoをも継ぎ足して固めた、あらゆる世代のkuso的DNAの集合体であり、誰にも否定しようもない真なるkuso」であり、すなわち「『KUSO』はクソ(kuso)である!」という結論に至るのだ。

『KUSO』は決してクソのような映画ではない。映画のようなkusoなのである。つまりこの映画を好むのは映画愛好家ではなく、kusoの愛好家なのである。

さて、後半に入ってからウッカリ真面目に『KUSO』を分析してしまったが、ハッキリ言ってこの映画は、ほとんどの人に対してオススメできない。基本的に面白い映画を紹介することを旨とする、このチャンネルとして例外的なことだが、この映画は内容以前に映像がグロテスク過ぎ、表現の脱臭も全くされていないので、本当に不快な映像を好む、アブノーマルな人にしか勧められない。

本解説を聞いて面白そうだと思った人には、是非思いとどまって、先に予告編を動画サイトで探して観ていただきたい。予告編のドきついノリが延々と続くのが『KUSO』である。こういった電波系の汚物映画を好む人には、元祖汚物映画である『ピンクフラミンゴ』もオススメである。

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投稿: 2020/10/25 ― 更新: 2020/10/26
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