『マッドマックス / サンダードーム』(’85)とは何だったのか

2020/09/20 ・ 映画 ・ By 秋山俊
『マッドマックス / サンダードーム』

『サンダードーム』というシリーズ3作目に関しては、ファンの間でも、恋人の歯くそのように見なかったことにする人たちがいる。カーアクションの欠乏から、「これは全く『マッドマックス』ではない」と感じる人もいるだろう。

一体、監督らは何を作ったのだろうか?

簡単に述べると『マッドマックス 2』を世界観系映画として拡張した“設定集”」と「商業に魂を惹かれたキッズ・アドベンチャー」を作ったのである。

この映画の前半部分――バータータウンという、砂漠の中に出現した文明の描写――については、本シリーズをあくまで世界観系として期待している人にとっては、『スター・ウォーズ』の酒場のシーンのように楽しめるパートである。ここでは物々交換を軸にした本作の経済がより細かく描写されているし、日本風のオブジェを身に着けたキ印の連中や、マスター/ブラスターのようなキャラクターも、前作の登場人物に劣らぬほどユニークである(図1)。

図1:マスター / ブラスター(頭脳と力)のコンビ(『マッドマックス / サンダードーム』)

さらに言えば、サンダードームという闘技場における”Two men enter, one man leaves”や”Bust a deal, face the wheel”のような、リズムある「民族の詩」や掟の表現。あるいは後半の文明崩壊後に生まれ、取り残された子供たちが”Apocalypse”を”Pox-eclipse”と発音するなど、ある種の破損をきたした独自単語を継承し、話している点など、架空世界の言語学的実践において、『サンダードーム』はよりディテール豊かで、設定オタクを魅了する無数のネタを提供している(ただし日本語字幕では再現されていない)。

しかし後半部分がコミカルなキッズ・アドベンチャーと化している点に関しては、硬派な世界観に対して水と油としか言いようがなく、カーアクションの迫力も前作に劣る(図2)。

図2:『マッドマックス / サンダードーム』

そもそも後半部分は、タイトルにあったサンダードームが半ばどっか行ってしまっており、話が見えなくなり、最後に唐突な辻褄合わせで“万事解決”がでっち上げられていて、脚本家に逃げられたような気分になる。なんの必然性もなくバラけて集合する合体ロボのような商業的都合の臭いがムンムンする。

構成の破綻、耳につく斉唱、ファミリー・サーヴィスへの堕落。マックスはデカダンでなければならない。この部分単体の出来はそれほど悪くないのだが、とにかく違和感ばかりの挿入で、全然別の映画が始まった感が拭い去れない。

結論として、この映画は後半部分をスルーして、前半のバータータウンの部分だけ観るのが最上の鑑賞法と言える。

満足度:6/10

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投稿: 2020/09/20 ― 更新: 2020/09/21
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