『ランボー 最後の戦場』(’08) / 1作目に並ぶ社会派ランボー

2020/08/20 ・ 映画 ・ By 秋山俊
『ランボー 最後の戦場』ギャガ株式会社, 2008年

『ロッキー・ザ・ファイナル』(’06)に引き続き、シルヴェスター・スタローンが自身の代表作を主演兼監督で復活させた作品。その内容は『ロッキー・ザ・ファイナル』同様に、シリーズの原点に立ち返りつつ、その本来的なテーマを現在の立場から追求することにある。そこには、ヒット作の安直な続編と化したシリーズへの反省も込められているのだろう。

では1作目『ランボー』(’82)本来のテーマは何だったか?というと、これはベトナム戦争への批判である。あるいは戦争がもつ暴力が人間を変えることである。『ランボー 最後の戦場』では同様のテーマを、しかしベトナムとは違い世界の議論から半ば無視されてきたミャンマー(作中では“ビルマ”の呼称にこだわる)の内紛の中に求める。

つまりこの映画、筋肉アクション映画と化した『怒りの脱出』『怒りのアフガン』とは違う、1作目以来の社会派ランボーであると言える(図1)。

図1:ランボーの“怒り”を表現した作品(『ランボー 最後の戦場』)

スタローン流の「嵐のカット割り」

作品内容だが、「凄まじい」の一言である。その描写の容赦のなさっぷりが。

映画の中盤と終盤の戦闘シーンで、とにかく人が死ぬ。ボロ雑巾みたいに。あるいは出来損ないのマリオネットのように、手足がもげ吹き飛ぶ。そうして容赦ない戦争の悲惨が描かれる。ゴア表現が苦手な人は気分が悪くなるかもしれない。それほど凄まじい、映画史に残る出来栄えである(図2)。

図2:とにかく人が惨たらしく死ぬ(『ランボー 最後の戦場』)

ついでに書くと、この映画は音響効果の作り込みがトップクラスで、特にサラウンドの鳴らし方がすごい。その迫力は『プライベート・ライアン』に匹敵する。そのためこの作品は、できるだけ映画館やホームシアターなどのサラウンド環境がある場所で、大音量での鑑賞が望ましい。

終盤の嵐のように激しいカット割りが印象的で、『ロッキー・ザ・ファイナル』(’06)のファイトシーンより、さらに攻撃的で挑戦的である。戦場カメラマンが撮っている映像のようにブレブレで、移動や振動に激しく揺れる画面の中に、とにかく凄まじい量のカットが入っている。

単位時間あたりのカット数が多いということは、すなわち映画の流れる時間が速いということ。つまりこの映画、ものすごく高速な映画である。

物語内容・映像ともに申し分なく、スタローンもまだまだ力強さを感じさせる。1作目に続く傑作である。

満足度:8/10

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投稿: 2020/08/20
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