『ロッキー5 / 最後のドラマ』(’90) / アメリカン・ドリームの終焉

2020/08/18 ・ 映画 ・ By 秋山俊
『ロッキー 5 / 最後のドラマ』 MGM, 1990年

金太郎飴的にどこを切り取っても同じ構図だった『ロッキー』の1-4までを「1つのロッキー」として見なすなら、本作は最初の監督であったジョン・G・アヴィルドセンが再びメガホンを取って「これまでとは違うロッキー」を撮った、真の意味での「次なるロッキー」、すなわち「真・ロッキー2」である。

『ロッキー 5』は異色作品

この作品はちょっとスゴイ。まずロッキーが試合をしない。彼はあくまでセコンドである。度重なる脳へのダメージでとても現役を続けられない身体になっている。

さらにロッキーが本当に貧乏になってしまう。これもびっくり。大金持ちになっても、どこかで歯車が狂えば一転して財産を失い、最悪借金を背負ってしまうという現実が描かれている。つまりロッキーは「アメリカン・ドリーム」という夢から覚めてしまったのである。

ではボクシングをしない『ロッキー 5 / 最後のドラマ』とは何なのか?というと、これは「家族ドラマ」である。

図1:ロッキーとトミー(『ロッキー 5 / 最後のドラマ』)

兄と仕事と父親の関心

ロッキーの代わりに試合をするのは、彼に才能を見出されたトミー(図1)。彼は言わば「無名時代のロッキーの再現」なのだが、トミーの出現によってロッキーの息子は愛情を奪われる。ロッキーはトミーの勝つ姿に自分を重ね、失ったプライドを取り戻せると夢中になる。トミーは「出来の良い兄」であり「ロッキーの仕事」でもある。

そして繰り広げられる、長男や仕事に父親を奪われた子供の苦悩と、父親の関心を取り戻すための闘い。これはまさに普遍的な家族ドラマ(図2)。

図2:ロッキーの盲目ぶりを批難する息子(『ロッキー 5 / 最後のドラマ』)

いじめっ子を自分の力で倒したことを大急ぎで報告するジュニア。素っ気ない態度でトミーにばかり熱中するロッキー。このシーンがものすごく切ない。

夢の終わり

終盤の展開も「衝撃的」という言葉が似合う。ロッキーは、偽りのアメリカン・ドリームに踊らされた「ロッキーになるはずだった男」をしばき倒す。そして豪邸には戻らず、つつましい住宅で家族と共に過ごす人生に安住する。

80年代までの、熱狂的で、しかしどこか浮ついていた「アメリカン・ドリーム」という幻想が『ロッキー 5』では否定されているのである。つまりこの作品、『ロッキー』(’76)の抱えていた限界……ある種の楽観性を冷静に反省し、市井の幸福へ戻っていく男の姿を描いているのだ

そういう意味で、一見全然違う映画でありながら、1作目と表裏一体を成す「裏・ロッキー」であり、異色作にして問題作、そして同時に優れた家族映画でもある。

満足度:8/10

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投稿: 2020/08/18 ― 更新: 2020/08/19
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