『ロッキー 4 / 炎の友情』(’85) / ミュージック・ビデオと化したロッキー

2020/08/16 ・ 映画 ・ By 秋山俊
『ロッキー 4』Metro Goldwyn Mayer, 1985年

『ロッキー 4 炎の友情』を初めて観たときに驚いたのが「これ……ミュージックビデオじゃないか!」ということだった。

前作での挿入歌『アイ・オブ・ザ・タイガー』のヒットに商売としてイケることに気づいた気を良くしたのか、今作ではとにかく歌詞付きの音楽が流れる、流れる、流れる。中盤の特訓シーンに至っては何曲も連続で流れる。そして音楽をバックに、数秒おきにどんどん切り替わるカット。これはMVのカット割り。

もはや「今度はソビエトから、最強のボクシング・マシーンのドラゴが……」などというストーリー(図1)がどうでもよくなるほどの音楽推し。まるで「ロックと映画の融合こそ、新たなエンターテイメントである」と言わんばかりである。

図1:ソ連最強の刺客、ドラゴ(『ロッキー4 炎の友情』)

『ロッキー 4』が公開された1980年代と言えば、レーガン政権が「力による平和」を標榜し、ソ連を「悪の帝国」と名指しして、圧倒的な経済力を背景にした軍拡競争に巻き込み、資本力で劣るソ連を自滅させた年代。

音楽業界とタイアップしながらミュージックをガンガン鳴らし、世界中から資金を集めつつソ連の冷血野郎を殴りに行く『ロッキー 4』は、あたかも当時のアメリカ vs. ソ連のメタファーである。ソ連よ、これが資本主義だ(図2)。

図2:『ロッキー 4』で流れる”Living in America”

もちろん監督兼脚本のスタローンにそんな意図は全然なかったかもしれないが、図らずしもそうなってしまっているのが、この映画のオソロシイところ。そういう点で、本作は作り手の意図を超越して時代精神を反映してしまった、脱構築的なテクストとして、後世の格好の研究材料になる……かもしれない。

ロッキーと差別

『ロッキー 4』は、ロッキーに立ちはだかるのが「イヤな黒人ヤロー」ではないという、唯一のシリーズ作品である。

『ロッキー』はアメリカン・ドリームを体現しているが、「貧しいけど純粋な白人」が「強いけどイヤな黒人ヤロー」(5作目も黒幕は黒人)を打ち負かすという、逆差別的な内容が『ロッキー』の定型であり、実は「白人にとってのアメリカン・ドリーム」でしかないというのが本シリーズの限界でもある。そんな中でドラゴが白人なのは、ちょっと変わっている(図3)。

図3:ドラゴ(『ロッキー4 炎の友情』)

まあそのドラゴも「ソ連のイヤな官僚ヤロー」を批判するための白人でしかないので、プロパガンダ的であり、『ロッキー』シリーズの政治的な単純さというのは全く変わっていないのだが。

なお勝負の論理に関しても、本作はシリーズで一番のデタラメ。今までの作品では曲がりなりにも「クレバーなロッキーが格上に作戦勝ちする」という部分があったが、ドラゴ戦は無策で挑む上に、身長差20cm以上で体重も全然違う相手を、正面から殴り合って倒してしまう。

しかし色々あっても『ロッキー』は定型を愉しむ映画なので、私はそれなりに満足である。

満足度:7/10

見どころ

  • 「死ぬのなら、死ぬのさ」”If he dies, he dies.”

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投稿: 2020/08/16 ― 更新: 2020/08/19
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