『マトリックス』(’99) / 弾を避ける必要はない

2020/08/11 ・ 映画 ・ By 秋山俊

『スターウォーズ』(’77)がSF時代の神話を打ち出そうとしたのに対し、『マトリックス』(’99)はネット時代における新たな救世主思想を打ち出した、ポストモダンのカリカチュアであり、ウォシャウスキーが編纂した新約聖書である。

人類が生きているこの世界が仮想現実であり、植物のように栽培された人類が、培養液の中で「現実を生きている」という夢を見ている――

本作は20世紀までに誕生した様々な思想・哲学を集大成した総括的な寓話であると同時に、その問題提起のラディカルさによって、21世紀に「乗り越えられるべき作品」でもある。

監督のウォシャウスキー兄弟(現在は性転換して姉妹)

その要諦は「世界とは我々が“認識しているもの”ではなく、我々の“認識の在り方”こそが世界そのものである」という認識の定義逆転にある。つまり「世界」とは実は「物質」ではなく「認識=言葉」でしかない。

そこには「認識を改ざんすることによって、世界そのものが改ざんされる」という観念的な理想があり、その理想の映像的具現化として、主人公のネオは電脳空間を改ざんして、死を当然のように修正し、弾丸を静止させ、大空を飛翔するのである(図1)。

図1:「君が目覚めたとき、弾を避ける必要すらないんだ」(『マトリックス』)

物語のモチーフは完全に聖書。ネオ(Neo)とはThe One(救世主 = キリスト)のアナグラムなのだが、『マトリックス』におけるThe Oneは、特異な遺伝子によって誕生する超人としては描かれず、「目覚めを待つ者」として認識される。

同年の『ファイトクラブ』(’99)における「ナレーター=僕」と同様に、一般化された一人称的存在として描かれており、「全ての人間がキリストの力を持ち、目覚めのときを待っている」というニューエイジ的な思想を体現する。つまり目覚めを待っているのは観客一人ひとりである(図2)。

図2:真実に目覚める薬を選択するネオ(『マトリックス』)

ネオの覚醒は、以下の不思議なテキストによって始まる。

目覚めろ、ネオ……マトリックスが君を捉えている。

Wake up, Neo… The Matrix has you.

『マトリックス』

劇中で繰り返し問われる「マトリックスとは何だ?」という疑問に対し、モーフィアスは禅問答のような遠回しな回答を繰り返す。マトリックスとは何か?なぜモーフィアスは勿体ぶった言い回しに終止するのか?

それは、マトリックスとは、『マトリックス』という虚構を観ている我々観客が、映画を観た後に帰還すると信じているこの「現実世界」そのものであることを、劇中のネオにではなく、まさにスクリーンを観ている観客に告発するためである。人々に何かを「それが在るのが当然であり、逃れ得ないもの」(=現実)と信じ込ませる認識のフレーム、意識のフィルター、支配システム、それがマトリックスなのである(図3)。

図3:仮想現実を本物と信じて生活する人々を見ながら語るモーフィアス。以下のセリフはその引用(『マトリックス』)

マトリックスとはシステムだ。そしてそのシステムこそが我々の敵だ。

しかしその内部にいるとき、見渡すとなにが見える?ビジネスマン、教師、弁護士、大工。まさに今助け出そうとしている人々の精神そのものだ。だが我々が気づかせるまで、彼らはシステムの一部であり、したがって敵だ。

君は理解しなければならない。彼らのほとんどは解放される心構えができていないことを。そしてその大半はあまりにもシステムに浸かりきり、絶望的なほど依存しているから、彼らはシステムを守るべく牙を剥いてくる。

“The Matrix is a system, Neo. That system is our enemy. But when you’re inside, you look around, what do you see? Businessmen, teachers, lawyers, carpenters. The very minds of the people we are trying to save. But until we do, these people are still a part of that system and that makes them our enemy. You have to understand, most of these people are not ready to be unplugged. And many of them are so inured, so hopelessly dependent on the system, that they will fight to protect it.”

『マトリックス』

身近な例で言えば「コミュニティ」「組織」「常識」「慣習」。いずれも実体を持たないが、構成員がそれを確かな現実と信じ込む限りにおいて、それはたしかに「現実」にある。そして「何かがおかしい」と気づいた者が必死で訴えても、システムに依存しきった構成員たちは、その者を狂人と認識し、システムを守るべく排除しようとしてくるだろう。

君は今、現実にいるのか。君の周りにある「現実」は現実か。「国家」を見たことがあるか。「金」は存在するのか。「会社」や「学校」と名のつくコンクリートに人々が集まってるだけじゃないのか。悪意ある人間たちから「悪口」という弾丸が君に放たれ、迫ってくるのが見えるか。

きっと目覚めた君はこう答える。「そこに弾丸なんてない。君があると思ってるだけなんだ。そんなもの実在しないし、まして避ける必要などない」

言葉が認識を創る。認識が世界を生み出す。言葉がなければ世界は存在しない。であるならば、認識を自在に書き換えることによって、我々は世界そのものを書き換えることが可能なはずである。マトリックスが我々を捉えている。

11/10

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投稿: 2020/08/11 ― 更新: 2020/08/19
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