『響 -HIBIKI-』(’18) / たった一人の青春

2020/08/08 ・ 映画 ・ By 秋山俊
『響 -HIBIKI-』映画「響-HIBIKI-」製作委員会, 2018年

この『響 -HIBIKI-』に関して、予想通り「あんな自己中心的な主人公は不快」という批判が出ている。

しかしそのような「世間の眼」こそ、まさに作中で響が対峙しなければならない存在なのだ。

「曲げない」という言葉

主人公の鮎喰響(あくいひびき)は「本を読むこと」以外はほとんど眼中になく、移動中も常に本を読みながら歩く、偏執狂的な本読みである。そんな彼女の投稿した作品が世間を騒がせていく……というのが粗筋なのだが、この作品は「傑作を書き上げること」に主眼を置いた作品ではまったくない。というか、オープニングの時点で傑作は既に書き上がっている。

『響 -HIBIKI-』とは、映画ポスターに印刷された「私は、曲げない」というコピーが示す通り、世間との折り合いを決してつけない彼女の「生き様映画」なのだ(図1)。

図1:『響 -HIBIKI-』

作中で繰り返し「あなた一人で生きているわけじゃないんだから」という類のセリフが出てくる。宇宙は自分中心に周っているはずだった子供の世界を終了させ、他者との関係の中での折り合いや妥協を学ぶことを、我々は一般的に「大人になる」と表現する。

そうなのだろうか?本当にそうなのだろうか?

響は決して自分の意見を曲げない。曲げないために、ときに器物破損といった手段に出ることもある。端的に言って響は「暴力的」であるし、もっと現実的な言い方をすれば「犯罪者」ですらある。

しかしそんな「現実でそれが犯罪かどうか」「他人に迷惑がかかるか」などというのは、この映画の中ではどうでもいい。そんな葛藤は描かれていない。「犯罪者で結構」とすら言っている。

この映画で問うているのはただ一つ、「で、君は自分を曲げるの?」ということである。

そもそも人間が色々なことに対して妥協するようになるのは、自分の意志を押し通すことで現実に深刻な問題が舞い降りるから、というよりは、そういったことで仲間外れにされる恐怖、白い目で見られる恐怖、あるいは自分が平均から逸脱してしまうことへの恐怖、といったものが大きい。

『響 -HIBIKI-』で描かれていることとは、そのような人間社会の中で発生する圧力に対しての魂の闘争なのである。

図2:「大人の世界というのはね……」といった紋切り型が執拗にリフレインされる(『響 -HIBIKI-』)

だから響が他人の本棚を倒した、嫌味な同輩を椅子で殴り倒した、というのは、あくまで彼女が闘争の末に選んだ結論に対する「現実世界における帰結」に過ぎないのであって、別にそのせいで響が逮捕されても「その選択がたまたま現実世界では犯罪であったに過ぎない」というだけのことであり、手錠をかけられても仕方ないと思う(というか実際にそうなる)。

そうではなくて、『響 -HIBIKI-』における真の闘争は、常にその手前の選択――「あなた一人で生きているわけではない」「そんなのは世間が許さない」という人間社会の“呪詛”に対し、グッと奥歯を噛み締めて飲み干すか、「ふざけんな、バカヤロー!」と飛び蹴りをかますか――にある。

響は「悪」である。だからどうした

たとえば響が先輩の意見が気に入らず、本棚を押し倒す場面。まあハッキリ言って響が「悪い」のだが、ここで描かれているのは響が「悪い」かどうかではなく、先輩の「あなた一人で生きているわけではない」という「正論」「上下関係」という圧力に対し、「響が自己を曲げるか」の一点である。

図3:本棚をぶち倒す絶対的センター(『響 -HIBIKI-』)

繰り返そう。響はこの場面で「悪い」かもしれない。しかし「悪い」からなんだというのだ。生きることとは、自分を貫くワガママだ。部活強制の高校で文芸部にやってきた段階で、その衝突は不可避だったのだ。ぶつかるしかなかったのだ。そして自己を曲げずに生きるには、響は「悪く」なるしかないのだ。

この論理を了解できない限り、本作はただの「平手友梨奈がチンピラを演じた映画」で終わるだろう。

生きているだけで人は「悪い」。「善く生きる」ということは迎合するということでもある。本来「悪」であるはずの人間が「善く」なること、それこそが真の「堕落」ではないのか。「堕落」せねば生き永らえられないのが、人間存在の悲劇である。

あまねく人間は生きる中で、どこかで世界と和解し自己を曲げて生きるようになる。なれば、自己を曲げずに生きていけた、僅かな時間こそが青春である。そういう意味で、本作は紛れもない、希少なる「青春映画」と言えるだろう。青春とは孤独だ。葛藤だ。闘争だ。大人になんかなるな……

響の「病的なまでに自己を曲げない強固なる意志」は、作中で「天才」という果実を実らせる。天才がワガママなんじゃない。究極の、病的なまでのワガママ――あらゆる圧力に屈さず貫かれる意志――が天才を作る、というのが作中の天才論ではないだろうか。

北川景子の演技以外は素晴らしい作品。

満足度:9/10

見どころ

  • パイプ椅子で同輩を殴り倒すところ
  • 仲直り直後にケンカの続きを始めるところ
  • 「読んでもいないのに批判すんじゃねーよ」
  • 「人が面白いと思った小説に、作者の分際で何ケチつけてんのよ」

関連作品

作品ではないが、不遜な会見で話題になった田中慎弥の、芥川賞受賞会見における振る舞いは本作に通じるものがある。彼のエッセイ『逃げよ、生きよ』は普通だけど。

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投稿: 2020/08/08 ― 更新: 2020/08/25
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