『リチャード・ジュエル』(’19) / 善良さは搾取されている

2020/08/06 ・ 映画 ・ By 秋山俊
『リチャード・ジュエル』Warner Bro. 2020

「善良な人々」というのが確かに存在する。

彼らは協調を当然のこととして認識する。自分の手が空いていれば、周りの人に「手伝えることはない?」と聞いて回って、率先して苦労を分かち合う。やらなくていい仕事でも、それがみんなのためになるのであれば、やるべきだと考える。互いに助け合うことこそが、幸福を最大化する方法だと認識しているからである。

もちろんその他の「そうでない人々」は、頼まれてもいない仕事はしない。「そうでない人々」はそういうとき「見ていないフリ」をする。余計なタスクを回避するために、ときに、自分が出来ることに対してすら「出来ない」「知らない」という態度をとる。

「善良な人々」の態度を「そうでない人々」が見た時、彼らは「立派な行動だ」「自分もああならなければ」とはあまり考えない。彼らはただ「都合が良いな」と考えるのである――

図1:リチャード・ジュエル(右側)と弁護士のワトソン(左側)(『リチャード・ジュエル』)

善良なだけではナメられる

『リチャード・ジュエル』の主人公リチャードは、まさに今挙げたような「善良な人々」の1人である(図1)。彼は職務を超えたレベルで正義に奉仕する。それが当然のことだと考えている。少しばかりへんちくりんで挙動不審なところもあるが、彼は確かに善良な人間なのである。

そしてその善良さのもたらした結果として、普通の警備員なら「見ていないフリ」をする不審物に最大限の注意を払い、1996年のアトランタ・オリンピックでの爆破事件の被害を抑えることに成功する。しかし英雄として讃えられたのも束の間、一転して事件の容疑者としてプライバシーを剥奪されてしまう(図2)。

図2:『リチャード・ジュエル』

『チェンジリング』(’08)の頃から続く、イーストウッド監督の「巻き込まれた一般人」型の実録映画であり、内容的には『ハドソン川の奇跡』(’16)が最も近い。

リチャードはその善良さ、言い換えれば「お人好し」ぶりを他人に付け込まれ、搾取されてしまう。FBIが「協力」の名のもとにリチャードを騙し、犯人としての「証拠」を無理やり暴き出そうとする。家には盗聴器が仕掛けられる。弁護士のワトソンがつぶやく。「君がナメられているからさ」(図3)。

図3:「なぜこんなことに?」「君がナメられているからこうなった」(『リチャード・ジュエル』)

リチャードは他人と争うことができない。何故なら「善良な人々」とは、ときに、他人が自分から搾取しようとしているとは積極的に信じようとしない人でもあるからだ。一方、ワトソンは弁護士であり、黙っていれば自分がどんどん搾取されることを知っている。この映画の冒頭も「ナメるんじゃないぞ!」とワトソンが相手と争う場面から始まり、「戦って自らの権利を守ること」が作品のテーマであることが分かる。

『リチャード・ジュエル』とは、リチャードが戦うことを覚えるまでの映画なのだ。

ちなみに日本語字幕では「ナメる」という単語が一貫して使われ、分かりやすい訳になっているが、英語では、例えば盗聴器が仕掛けられたシーンのセリフは「君は問題にならないからだ」(“because you don’t matter.”)である。

自分の権利を守るためには、搾取してくる相手に対して「それはおかしい」「あなたにそんな権利はない」と主張し、異議を発しなければならない。

図4:リチャード・ジュエル本人。健康に問題を抱えており44歳の若さで2007年に死去している。

リチャードのような「善良な人々」は、どこかで学ばなければならないのだろう。ニコニコ顔でやってきて、相手の肩を図々しく叩きながら「君は善良な人間だろう?」と言って搾取してくる人間の手を払いのけることを。

興行面での失敗?

関係ない。良い映画である。

満足度:8/10

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投稿: 2020/08/06 ― 更新: 2020/08/07
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