『ザ・クレイジーズ/細菌兵器の恐怖』(’73) / 人間版の『ゾンビ』

2020/08/05 ・ 映画 ・ By 秋山俊
『ザ・クレイジーズ/細菌兵器の恐怖』ポスター

ロメロの『ザ・クレイジーズ』というのは、この監督の代表作であるゾンビシリーズの“変奏”であり、同時に『ゾンビ』(’78)に向けた“プロトタイプ”でもある。言い方を変えると、本作は「人間版ゾンビ」である。

『ザ・クレイジーズ』の敵は細菌兵器に感染してイカれてしまった人間であり「ビョーキの人」である(図1)。したがって、田舎町に投入された軍隊は「町を封鎖し、狂った人間を殺せ」と命令を受ける(図2)。

図1:凶暴化したり錯乱したような行動に走る感染者たち(『ザ・クレイジーズ/細菌兵器の恐怖』)
図2:防護服を着た軍人たちが、町を突如として封鎖する(『ザ・クレイジーズ/細菌兵器の恐怖』)

ところが作中で「感染者と単に狂ったやつをどう見分ければいいんだ?」といったセリフが出てくることからも分かる通り、「異常事態で躁的興奮に陥った人間」と「頭のおかしくなった感染者」の間に明白な違いはないのである。

『ゾンビ』を思い出してみよう。『ゾンビ』における「発見」とは「オレたちってゾンビと一緒じゃん」ということだった。異型と化した怪物の中に、自分たちとそっくり同じ性質を見つけ出してしまうという皮肉が『ゾンビ』における風刺だったのである(図3)。

図3:ゾンビ狩りを通して、むしろ人間側の残虐性などを浮き彫りにしたのがゾンビ3部作(『ゾンビ』)

『クレイジーズ』では、人間が生きたまま狂ったり凶暴化することで、これと同じ構図を作っている。つまり感染者というのは「生きたままのゾンビ」とか「思考だけゾンビになった人間」みたいなものなのだが、ゾンビと違ってあくまで生きたままの生物であり(だから撃たれれば簡単に死ぬ)、外見で見分けはつかない。

凶暴なだけの人間と感染者の、どこに違いがあるというのか。感染していようとしていまいと、激しいパニックに陥ったり、自衛本能に駆られて銃を乱射し出した時点で、そいつは感染者と変わらない。逆に、一見頭がおかしくなったように見えても実は極度に興奮しているだけという可能性もある。人間と「化け物」の相似性がより克明に描かれているのである。実際、作中には感染していたのか単に興奮していただけなのか不明な人間も出てくる。

また『ザ・クレイジーズ』で執拗に描かれるのが官僚主義への批判である。迅速で臨機応変な対応が求められ続けている、逼迫した「現場」の要求は、ことごとく「お上」の都合で通らなかったり後回しにされる。これを象徴するものとして、現場の人間が連絡を取ろうとするたびに「声紋確認が必要」と言われるギャグシーンが挿入されている(図4)。

図4:軍隊のやり取りのシーンだけ場違いで滑稽なBGMが鳴り響く(『ザ・クレイジーズ/細菌兵器の恐怖』)

このような風刺がスクリーンだけで収まっていれば笑い話だが、2020年の現実世界においては、新型コロナを巡る政府のトンチンカンな対応に苛立つ市民という形でそのまま現実化してしまった。政府が感染収束の最終手段として核兵器をチラつかせる展開は、ロメロ映画のパロディである『バタリアン』にも引き継がれている。

満足度:8/10

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投稿: 2020/08/05 ― 更新: 2020/08/06
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