『チェンソーマン』5巻 / 映画デート編に見る藤本タツキの作家性

2020/01/14 ・ 漫画 ・ By 秋山俊
藤本タツキ『チェンソーマン』5巻, 集英社, 2020年

個人的に待望だったのが、『ファイアパンチ』で異常なほど映画トークを作中に盛り込んだ作者による映画デート編。この話、ジャンプマンガのルーティンとしてよくある「大きな話の後の小休止的な脱線エピソード」でもあるのだが、作者の大衆映画風刺っぽい姿勢も見えて面白い。

例えば下のようなコマ。

図1: 藤本タツキ『チェンソーマン』5巻, 集英社, 2020年, p.102

映画の「いかにも笑ってくださいという笑い」に反応していると思われる観客の笑いに混じれない二人。この後にも大衆映画を淡々と批判する描写が続く。そして最後にガラガラの劇場で「ちょっと難解な映画」を観た二人は、そこで初めて涙を流すのである。

かなり短い描写なのだが、こういうのを読むとやはり「藤本タツキはジャンプに珍しいアンチ王道系の芸術主義者なんだろうな」と思う。「わかりやすさ」や「迎合」に対する冷めた視線。「安直やありきたりで人の心を揺さぶれるの?」という批判が感じられる。

『ファイアパンチ』の頃から、藤本は常にオーソドックスに対する拒否感を漂わせている。『チェンソーマン』もそう。「当たり前はツマンナイよね」というのが彼の作風だし、彼自身が常に頭で、作者の意図とか、次の展開とかを予想しながら作品に接してしまうタイプの人間なのだろう。

だからこそ彼の作品は、予想を裏切り、裏切り、裏切る方向に向かう。1ページ1ページに「読者に予想できるありきたりを描かない」という工夫が感じられる。惰性で描かない。

図2:『チェンソーマン』5巻

だから「大きな声だすなよ」の返事は「ワシの名はパワー!!」になるし、「コイツのキンタマを蹴って一番でかい悲鳴を出させた奴の勝ち」というイカれた提案にも「勝ったら何くれんだ?」という返答になる。バトルシーンの展開もメチャクチャなようで、1コマ1コマに面白さが含まれている(図2)。

で、デート編では次の台詞がすごくいいと思った(図3)。

図3:『チェンソーマン』5巻,p.105

どんな分野でも、目が肥えてくると「つまらない作品」の方が多くなってくる。もしかしたら好きなジャンルが定まって偏屈になっただけかもしれないが、とにかく触れ始めた頃のように、何でもかんでも面白い、という状態ではなくなる。だからマニアというのは、まるで中毒患者のように「つまらねぇ、つまらねぇ」と言いながら大量の作品に当たる。そういう人は、最初の頃に作品に接してすごく感動した体験を求めているのだと思う。

私も大量の金と時間を費やしてマンガや映画に接しているが、正直、ものすごく面白いと思える作品はほとんどない。でも、だからこそ感動できる作品に出会えることは貴重だし、出会えたらその作品を大事に読みたいと思っている。「あれだけで今日のチケット代の元取れたね」という台詞の意味も分かる。求めるものの水準が高いからこそ、それをクリアして自分に迫ってきた作品の価値はプライスレスだと感じる。

ちなみに藤本タツキの『ファイアパンチ』は、私にとってそんな作品の1つだ。

5巻の満足度:8/10

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投稿: 2020/01/14 ― 更新: 2020/01/23
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