『リボーンの棋士』 5巻――話の中心人物は誰か、あと保科の語り

鍋倉夫『リボーンの棋士』5巻, 小学館, 2018年

この5巻の「中心人物」は誰なのかと考えた時、それは主人公のかつての師である伊達啓示 七段なのだと思う(図1)。

考えてみれば『リボーンの棋士』という作品はずっとそうであって、序盤の土屋戦のときから、常に最大のスポットは対局相手に当てられてきた。そしてそれぞれの対局相手が持つ苦悩にレスポンスするかのように、既に再生を果たした「リボーンの棋士」である安住が正面からそれを受け止めるという流れがある。安住に触発される形で、それぞれのキャラクターの苦悩に何らかの新展開が訪れる、という形で物語が進んでいく。

図1:安住がプロになれず奨励会を去ったことに罪悪感を覚える伊達(『リボーンの棋士』5巻)

これは純然たる「主人公の成長物語」であろうとする他の盤上遊戯マンガ、例えば『ハチワンダイバー』とか『ヒカルの碁』とは大きく異なる。

あれらの物語では、主人公も中心人物も大抵合致しており、多くの場合それは主人公本人、あるいは主人公サイドに与するメインキャラクターである。『ハチワンダイバー』なら菅田だし、『ヒカルの碁』ならヒカルが主人公であり、中心的視点となって事が進む。『リボーンの棋士』はそうではない(少なくとも今のところは)。

『リボーンの棋士』では盤上の駆け引きが、大雑把にしか描かれない。それは将棋そのものの内容が対局の焦点ではないということであり、対局はもっぱら人間模様のメタファーとして扱われる。例えば今回の対局では「没コミュニケーション」という語に表されるように、安住と伊達の対話不足による齟齬が対局内容にそのまま出てきてしまう。

『リボーンの棋士』は将棋マンガである以上にヒューマンドラマであり、それこそが将棋を知らない人にも読ませてしまう、本作の最大の魅力だと思うのだ。満足度:8/10

以下、蛇足。

保科 七段の第三者視点

5巻で面白いと思ったのが、新キャラクターの保科。「棋界の御意見番」として紹介されている。そして以下のモノローグである(図2)。「観戦記書こうかな」との台詞通り、彼は現時点では盤上遊戯マンガに付き物の「記者キャラ」のようなポジションにいると思われる。

図2:保科による俯瞰的な状況説明描写(『リボーンの棋士』5巻)

『リボーンの棋士』にはこれまで、勝負や葛藤の場にいる人間以外によるモノローグがなかった。一方、保科は中心地点からやや離れた場所から中立的・俯瞰的に状況を描写している。これは小説で言うと「地の文」に近い立場だ。

また図2を見ればわかる通り、保科の視点は、状況や人間関係をさり気なく説明・補足しているのでマンガを読みやすくしているし、語り方がいかにも観戦記っぽいので新味がある。そして彼のモノローグは二重線で囲まれているという特徴があり、作中の時間の流れから隔離され「この日は大きな対局もないのに[……]人が多かった」と過去形で語られている。保科の語りは、一種の作中作のように物語に組み込まれている。

このまま作品に定着するのかは不明だが、安住たちから距離を取りながら客観的に描写するキャラとしては面白い存在だ。

(蛇足の蛇足:現実の将棋観戦記で一番凄まじいのは坂口安吾である。安吾は小説家のクセにエッセイの方が遥かに上手い。最近安吾の観戦記を集成した『勝負師 – 将棋・囲碁作品集 』が中公文庫から出たのでおすすめ。古いけどおすすめ)

堺の空気読まない「才気煥発の生意気小僧」ポジション

堺 四段(5巻冒頭で昇段した子)の「全然空気読まなくて言いたいことズケズケ言うけど、実力はめっちゃある」タイプのキャラが完全に確定。『ヒカルの碁』で言うところの越智。個人的に好きなキャラだし毒っ気はないので好感が持てる。「あんたわかってんじゃん」のあとの「は?!」がなんか好き。

将棋会館に生息するチワワの正体

以前にもチラッと出ていた、このつぶら過ぎる瞳を備えた人物の正体が地味に気になる(図3)。

図3: 『リボーンの棋士』 5巻

今日は土屋さんの誕生日です。お祝いのメッセージを送りますか?

5巻屈指のギャグページを担当したのは、やはり我らが土屋 30歳である。このページだけ見るとコラかと思ってしまう。

土屋自ら、頂きのホワイトチョコをちょっと可愛く添えているのが注目ポイントだ。インスタ映えは重要。そして森さんをカラオケ店に置き去りにして激化する宇野三段とのヒロイン争い。安住をより「わかってる」のは俺だ!(筆者の妄想です。文客堂は鍋倉夫先生と土屋貴志 30歳を応援しています)(『リボーンの棋士』5巻)

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投稿日時: 2019/12/28
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