投稿日時:2018/09/03 ― 最終更新:2019/02/03

今までありそうで、実は全くなかったオンリーワンな作品と言っていい。

90年代に最もゲーセンで対戦を重ねた男、梅原が監修したからこそ描けたゲーセン文化への深い愛着と細やかな対戦描写、ゲームに対する哲学的問いかけが盛り込まれている、ゲーセン好きも梅原ファンも必読の書。大会無敵を誇った彼のドキュメンタリーを通して、対戦ゲームの面白さや美学を掘り下げていく。

さて、私にとってゲーセンは、作家にとっての喫茶店みたいなもので、毎日入り浸る第二の我が家と言ってもよい空間だった。昼飯を抜いてゲーム代に費やすことは当たり前、未成年ながら夜10時以降も店内に居残るために、わざわざトイレで学校の制服を脱いで私服に着替えていたほどである。

そんなゲーセン育ちの私から見ても、この『ウメハラ』のゲーセン描写には作り物っぽさが全くない。当時の現場に参加しているかのような臨場感があるのだ。このリアリティの骨子は、ゲーセンという場で生成される社会構造やヒエラルキー、一種の「生態系」の描写の緻密さである。

例えば「スト2編」の序盤におけるヤギヌマの振る舞いは、かなり面白い。ヤギヌマは秋葉原セガの常連プレイヤーで、腕前は中級程度、いつも子分のようなゲームオタクを2人連れて「パンピー狩り」(初級レベルのプレイヤーを倒しまくること)を行っている。そしてこのヤギヌマの言い回しや周囲とのやり取り、パンピーの「狩り方」には、妙に既視感を覚える(図1)。

図1

確かにこういう手下を連れて騒ぐタイプのゲーマーは、ゲーセンではしばしば見かけるし、起き攻めにおける表裏ネタでハメ殺す様子なんて、いかにも「パンピー狩り」がやりそうな手口である。

「オレの頭の中にはメスト最新号までの攻略に加え
都内のゲーセンで仕入れた独自の攻略情報も叩き込まれているッ
誰でもいいからかかって来いや!」

「…アパカ…やってねぇ…」
「ヤ…ヤギヌマさん?」
「…くそ、っ…てない。いややったけど、やってねぇ」

一々吐く台詞がリアル過ぎる(笑)。

さらにこの後、ヤギヌマは上級者が集まりだす午後6時前にはさっさと退散してしまう。ヤギヌマは「バレるまでは楽に勝てる“ネタ”を仕込んで、それを知らない者たちを蹂躙し、“ネタ”が通用しない者たちが現れる前に逃げる」という、ハイエナ的な「弱者からの搾取」で勝利を積み重ねるプレイヤーの典型として描かれている。この手法は「昼間には初級レベルのプレイヤーが多いこと」「昼間は常連客が少なく一期一会なので、奇襲戦法を繰り返し使えること」などから、客層やゲームの特徴を上手く利用した手口なのである。

『ウメハラ』ではこのように、90年代に日本全国で普遍的に観測されたであろう、ゲーセンという閉鎖空間における独特の「生態系」を巧みに描いている。そして実際にヤギヌマは、ゲーセン空間を「サバンナにおける野生動物の生存競争」に例えているが、言い得ている。当時のプレイヤーは自分のレベルに合わせて時間帯や場所を選んでいかなければならなかったし、知識や嗅覚が足りない人間は喰い物にされてしまうシビアさがあった(まあそういった厳しさが格ゲー衰退の一因であることは間違いないのだが)。

本作のリアリティは「待ちガイルうざかったよね~」程度の懐古的「あるある談義」のずっと先へ踏み込み、客同士の微妙な力関係や緊張感をも伝えることに成功している。ゲーセン文化の貴重な歴史的資料であり、「アーケード界の『古事記』」として後世に伝えたいくらいだ。お父さんたちは我が子にこのマンガを買い与えて、一緒に「ウル2」でも遊びましょう。

ゲーム語りを物語に組み込む

物語は実在の格ゲー界のレジェンドである梅原大吾と、そのライバルたちとの対戦や対立構造を、実話を基にしながらマンガ風にアレンジして進んでいく。梅原関係の資料は結構調べてみたのだが、全体としては「こういう対戦や出来事があった」というエピソードそのものは忠実に再現しつつ、そこに至るまでの過程や起きた場所などは、マンガの都合でアレンジされて配置されている、という印象である。

例えば8巻での梅原 vs. オゴウだが、「この対戦で対戦観が変わるほどの衝撃を受けたこと」や「小袋を抱えたオゴウがゲーセンに来て、いきなり1人用ですごいことをやり出した」ことは、実際のインタビューの中で連載前から語られていた。実話である。しかしそこに至るまでの経緯は資料と異なっており、マンガのストーリーに合うように作られたフィクションであることが分かる。

この漫画は序盤ほどドキュメンタリー色が強く、リアリティとマンガのテンポ、細かな対戦描写などのバランスが上手く取れているのだが、後半にいくに従ってどうも漫画チックになり過ぎてしまった。

例えば4巻でのクラハシ・ガイル戦や、6巻でのオゴウ・DJ戦は、実際のスト2の駆け引きを「バトルマンガ的な押し引きの描写」の中に盛り込みつつ、ゲーム描写と物語展開を上手く両立していた(図2)。スパコンの溜め方と主人公の成長を同時に描けるマンガは『ウメハラ』だけだ。さらにガイル vs. DJ戦における「連打キャンセルを利用することで、ガイルは立ち弱キックを出しながらソニックブームの溜めを維持できる」という下りは「なるほど!」と思わず唸る渋い展開だし、「難しいテクニックも積極的に取り入れて力の差を見せつける」という梅原の闘争心、マンガ的な熱い展開も表現できている。

図2

図3

一方で8巻からは、心理描写や思想探求を重視した結果からか、演出過剰のきらいがある。細かい対戦描写が減り、コマは大ゴマが増えてキャラが大げさに振る舞い、ゲームキャラクター同士の殴り合いの描写が増える(図3)。

まあそういった難点とか、ツトムと白鳥はページが割かれている割に存在意義が不明とか、あとはそもそも構図や台詞回しの問題として何を描いているのかよく分からん、といった度々指摘される欠点は、確かにある。しかしそういった瑕疵も『ウメハラ』を他人に薦めるのに躊躇する理由には、少しもならない。本作には他作品にはない、独自の論議が存在し、その意義が極めて深いためである。

なぜオケ屋は足払いの追求を止めなかったのか

本作の真の独自性、それは格ゲーを続けるなかで自ずと発生する美意識や哲学に対し、真正面から議論していることである。

「なぜ最強キャラを使わないのか」「ゲーセンにおける『勝利』の定義は何か」「そもそも何故ゲームをするのか」こういった問いかけは、ゲーセンでのプレイを続ければ続けるほど、避けて通れない問題となる。しかし近年では格ゲーが対戦ツールとして洗練されスポーツ化するに従い、あまり語られなくなった問題でもあるので、ここに強く踏み込み、当時の強豪(ある意味で「哲人」)たちのアプローチや思想を通じて答えを模索できたのは、梅原監修ならではの強みに違いない。

美意識の追求においては、4巻のオケ屋 vs. クラハシの闘いは白眉である。

足払い戦(しゃがみ大キックで相手を上手くコカす戦い)の達人であるオケ屋は、しかし身内ルールを無視して波動拳を乱射するクラハシに連敗を喫し、サンドバックにされてしまう。「なぜ足払いの重要性が低下したにも関わらず足払いを追求し続けるのか」という問いに対し、彼の仲間たちはこんなことをつぶやく。

「でもそんなに簡単に割り切れるなら、オケ屋さんはきっと格ゲーなんか続けてなかったよ」
「もっと利口なことやっとるわな」

「もっと利口なことやっとるわな」……ボソッとつぶやかれたこの台詞は、素朴なようで、それでいて我々が「格ゲーせずにはいられない」その根幹理由を鋭く再確認している。

現在のように賞金制の大会がある時代と違い、当時の格ゲーはやればやるほど金を失い続ける遊びである。つまりゲームが楽しいから、社会的には「完全な損」であったとしてもゲームやります、という連中がゲーセンには集まっていたのだが、格ゲーを続け過ぎて悦楽ではなく勝利が目的化すると、その最終進化(退化?)形態として「対戦が始まってから1ミリも動かずにうんこ座りを続ける待ちガイル」みたいなのが出現する。

なるほど、確かにそういう戦法で対策不足の人間は倒せるかもしれない。ストロングスタイルと呼べるかもしれない。しかしレバーをひたすら下に倒して我慢比べをしているだけという貧しいゲームは、そもそも何故遊んでいるのか意味が分からない。にも関わらず、我々はそういう不毛で貧困に満ちた戦いへと迷走しがちである。

話を戻して、何故彼が足払いを追求し続けるかというと、足払いこそが彼にとっての「スト2の面白さの根幹」「対戦の豊かさの象徴」だったからではないだろうか。オケ屋は足払い戦のシンプルな駆け引きに、目指すべき理想像を見た。そこを妥協して戦うくらいなら、そもそもスト2やる意味がないと。

格ゲーを続ける人は大なり小なり、自らのプレイに「理想の幻影」を重ねている。それは梅原にとっての「飾太刀」であり、オケ屋にとっての「足払いの達人」である。その「理想」への憧憬、それが「もっと利口なことをやらない」理由なのである。

あんなプレイがしてみたい
あんなプレイができるんだろうか
できるようになってやる

「なぜ『もっと利口なこと』をやらないのか」この問いはさらに発展させると「何故生きるのか」という問いになる。だから最終話における「生きていくってどういうことだ?」という問いかけは、唐突なようでいて唐突ではない。不公平なキャラクターバランスと、最終的には必ず敗北する対戦というシステム。格ゲーは人生の縮図なんだな、と思ってしまう。

引用元

  • 図1:西出ケンゴロー(作画)友井マキ(原作)梅原大吾(監修)『ウメハラ FIGHTING GAMERS!』3巻, KADOKAWA
  • 図2:西出ケンゴロー(作画)友井マキ(原作)梅原大吾(監修)『ウメハラ FIGHTING GAMERS!』4巻, KADOKAWA
  • 図3:西出ケンゴロー(作画)友井マキ(原作)梅原大吾(監修)『ウメハラ FIGHTING GAMERS!』9巻, KADOKAWA
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