山口貴由『悪鬼御用ガラン』リイド社, 2004年

『悪鬼御用ガラン』がどんなマンガかというと、世の中の様々な悪党の詭弁や、民衆のお花畑的な楽観論に対して「そんなわけねーだろっ!」と山口貴由がひたすら喝を飛ばす天誅マンガである。「天誅マンガ」と表現したが、実際に主人公のガランは悪人たちの過去の罪悪を見通す力を持っており、「巡回死刑執行人」を自称して各地を渡り歩き、ターミネーターのようにひたすら天誅を振りまく(図1)。

図1: 『悪鬼御用ガラン』

愚者も悪も全員死ぬ

山口は9つあるどの話の中でも「そんなわけねーだろっ!」というシャウトしか発していない。そして人々を騙す悪党だろうが、それに騙される善良な市民だろうが「そんなわけない」都合の良い話を信じたり行ったりしてしまった者は、皆等しく脳を爆裂させてくたばる。

作品信念の1つとして「因果応報」あるいは「バカは死ななきゃ治らない」みたいな考えがあると思う。だから騙された市民すら、その嘘を信じた当然の帰結として死ぬのである。

例えば人々を「愛の唄」で腑抜けにして一網打尽にする悪鬼の言葉が以下である。

ささやいてごらん、愛していると。そうすれば世界平和が訪れる……
(ワケねえだろ!もうちょっとアタマ使えよ!)

『悪鬼御用ガラン』

こうして悪鬼は口から火を吹き、愛を信じた脳みそお花畑のアベック集団は全員炭になって昇天する。それに対してガランは「同情は無用」と、被害者に対しても憐れみを見せない(図2)。これが『悪鬼御用ガラン』の世界の善悪論であり、現実の厳しさを忘れて幻想に逃避する弱い心もまた、悪の一部なのだという考えが見える。

図2:『悪鬼御用ガラン』

作品全体が「過去のトラウマが悲しき悪を生み出したのだ」とか「いつかわかり合える」といった、安手のヒューマニズムへのアンチテーゼとなっており、『悪鬼御用ガラン』の世界で悪党は最初から救いようのない悪党だし、そんな悪党をガランは一切の更生の試みもなく、ひたすら抹殺していく(図3)。

そういうドライで「トラウマが悪を生み出す」という考えを否定する純粋悪の描き方は『魔人探偵脳噛ネウロ』の先駆と見なすこともできるし、ガランが毎話アグレッシヴに悪党を葬りに赴き、一撃で顔面を粉砕していく様は「物凄く積極的に悪を倒しにいく『北斗の拳』」と言えるかもしれない。

図3:『悪鬼御用ガラン』

「力説の場」としてのマンガ

ただ読んで残念に思うのは、山口貴由の批判態度があまりにも直接的であるが故に、これはマンガにかこつけた作者の演説本ではないか、と感じてしまうことである。

つまりこの作品は「あぁ、山口さんはマンガである種の甘ったれた言説を批判したいんだな」というのがわかりやす過ぎるから、虚構世界が虚構そのものを愉しむエンタメとしての体を半ば成していなくて、作品は作者の主張を仮託するための舞台装置に過ぎないのではないかと思える場面が多々ある(図4)。

図4:『悪鬼御用ガラン』

つまりフィクションの中で何らかのメッセージを発するにしても、基本的には作者の主張というのは物語の裏に伏流しているべきで、批判の隠喩としての物語そのものがもっと主役であるべきと思うのである。「作者の演説を聞いているな」と読者が意識してしまったら、それはもはや虚構ではなくただの現実だから。

その点に関しては、この時代の山口貴由はまだ十分に洗練されていなかったのかなと思うし、この次の作品の『覚悟のススメ』でも、序盤の一話完結型の話の中では同じスタイルを採用していて「満員電車に揺られる生活じゃ、俺の個性が殺されちまうよ」とか叫んでいる怪物が敵として出てきたりする。これはまさに『悪鬼御用ガラン』のスタイルの続投である。

これが続いたら恐らく『覚悟のススメ』はそれほど人気を博さなかっただろうが、この作品はその後、作者の強烈なメッセージを内に秘めつつも、それをエンタメとしての物語へ昇華することに成功を果たす。

以上のことから、『悪鬼御用ガラン』は『覚悟のススメ』で開花する前夜の山口スタイルを集成したものと言えるだろう。

マンガの記事一覧

LINEで送る
Pocket

投稿日時: 2019/09/18 ― 最終更新: 2019/11/26
同じテーマの記事を探す