甲斐谷忍『ワンナウツ』1巻, 集英社, 1999年

『ワンナウツ』とは何か?『ワンナウツ』とは「野球とは戦争である」と宣言したアンチ・野球マンガである。

話の筋そのものは実にシンプル。野球もどきの賭博で常勝を誇っていた勝負師・渡久地東亜(とくちとうあ)が、プロ野球の世界にやってきて圧倒的に不利な賭博契約を結ぶが、あらゆる駆け引きやトリックを駆使して対戦相手を翻弄しまくるという、痛快なるギャンブルマンガである。

渡久地は速球も変化球も持たない、ピッチャーとしては平凡な存在なのだが、勝負師としての論理を駆使して誰にも狙いを悟らせず、彼を前にしては、誰もが狐につままれたように凡退する。

なぜ、プロ野球でしのぎを削る一軍選手たちが、120kmのストレートを放る渡久地に翻弄されるのか。それは渡久地が「ゲーム」ではなく「戦争」を始めてしまったからなのである(図1)。

図1:甲斐谷忍『ワンナウツ』3巻, 集英社, 2000年

ゲーム vs. 戦争

我々が普段目にする野球は「ゲーム」である。なぜ「ゲーム」足り得るかというと、それは定められたルールの範囲内で、ルールの思惑の内で、ルールの求める技術の優劣を競うからである。つまり、プレイヤーが創造主の思惑を超えないことが、ゲームが「ゲーム」でいられるための十分条件である。

ところが渡久地が始めてしまったのは「戦争」なのである。「戦争」という言葉がピンと来ないなら「大いなる盤外戦術」と言い換えてもいい。

彼の「戦争」ぶりが最も良く表れているエピソードが「散々試合を長引かせた挙げ句、大雨でゲームを不成立にする」という、抱腹絶倒の無法試合である。

この試合では、途中で渡久地の狙いに気付いた相手チームも早急に試合成立させて終えるべく、あらゆる反則を駆使してアウトを譲ろうとする。結局、ピッチャーが故意にボールを落としたり、バッターが勝手にボックスを移動したり、逆走したりと、この試合では野球とは完全に異次元の勝負が展開される(ここからまだまだ波乱があるのだが) (図2) 。

図2:甲斐谷忍『ワンナウツ』4巻, 集英社, 2000年

渡久地という勝負師

しかし重要なことは、渡久地らはルールを破壊したわけではなく、あくまで「反則というルールの範囲内で」ゲームをしているという点である。反則はとられているが、ルールブックから逸脱していないのだ。だからこそ彼らは「ペナルティ払うね」と、臆面もなく反則をこなす。ここから「ゲームとは何なのか」ということが分かってくる。

野球というゲームは、創造主の思惑に沿っている限り「ゲーム」でいられる。そして渡久地という規格外の勝負師が紛れ込んだとき、野球は「ゲーム」ではいられないのである。

そして「戦争」とは何かというと、それは「何でも利用する」ということであり、この現実そのものである。

そもそも渡久地の真の勝負相手は最初から球団オーナーであり、彼と結んだ「アウトを取るごとに500万円もらい、失点するごとに5,000万円払う」という賭博契約こそが、彼の直面している本物の勝負である(図3)。そこに投手の誇りとか、美学とか、そういうあやふやなものが介在する余地はない。

だから渡久地の野球は必然、「戦争」と化す。彼は己の商売のために、野球に武器を持ち込んで戦争を始めたのだ。渡久地こそは、スポーツマンシップの園に降ってきたトルメキアの戦艦である。

図3: 甲斐谷忍『ワンナウツ』2巻, 集英社, 1999年

だから『ワンナウツ』は決して「野球マンガ」ではない。正しくは「ギャンブルマンガ」なのだが、もっと踏み込めば「ギャグマンガ」である。こんな馬鹿げた場外乱闘を大真面目にやる作品が、ギャグマンガでないはずがないだろう。

究極の勝負師は、野球を落語に変えてしまったのである。

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投稿日時: 2019/09/12 ― 最終更新: 2019/11/27
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