三田紀房『ドラゴン桜』1巻, 講談社, 2003年

私の経歴を知る人達から「『ドラゴン桜』とか参考にしました?」という質問を何度か受けた。

質問の答えは「イエス」である。ただし私は戦術・戦略面では、この作品をほとんど真に受けなかった。

『ドラゴン桜』とは何か

そもそも『ドラゴン桜』の受験攻略は、半分近くが眉唾である。

戦術に関しては7割くらいは信じてもいいが、そもそもの大前提・大戦略である「受かりたいだけなら理一(工学部・理学部)を目指せ」が客観的に見て間違っているのだから、その時点で連載をやり直さねばならぬほどの大失策である(→「東大に入るなら理一より理二文三が楽」)。

理系なら理二(農・薬学部)の方が合格最低点が低いし、もっと言えば数学の下積みの差をある程度誤魔化せる文系の方が「0から受験」には有利である。英語に関しては、むしろ理系の方に加重があり、結局理系ほど下積み勝負になるからだ。

図1:『ドラゴン桜』1巻

しかしそんなことはどうでもいい。

いや、どうでもよくはないが、結局『ドラゴン桜』という作品は、突き詰めれば、1巻表紙にもある「東大は簡単だ」というドグマを発することが全てのマンガであって(図1)、その後の、話の終わりと始めにわざとらしく挿入される「はっきり言う。受かりたいならxxxxするな!」「な、なんだってーっ!」という受験コントは、言わば東大合格というドラマをドライヴする際の読者サービスに過ぎないのだから、このマンガは1巻がクライマックスであり、テクニックなど、やっぱりどうでもいいのだ。

『ドラゴン桜』は「東大は簡単だ」ということを、ただひたすら主張するマンガである

ここでいう「簡単だ」とは「芸術ではない」という意味である。『ドラゴン桜』は、東大受験という「芸術」を「方程式」に置き換えてしまったのである(図2)。

そうして「東大には天才しか受からない」という神話を解体し、赤門が実はあらゆる人々に、それこそ作中の矢島のような不良少年の先にも開けてることを公然とした。その痛快さこそ『ドラゴン桜』の真髄である。

図2:『ドラゴン桜』1巻

私が本作から学んだことも、結局「東大は簡単だ」ということくらいである。私は27年目の趣味として勉学を再開したが、少しして読んだ『ドラゴン桜』に「東大は簡単だ」と書いてあった。そうして過去問を見て「なるほど、そういうことか」と感じたし、実際に合格できた。作中で宣言されるように、問題は質ではなく量にのみある。

三田紀房の作家性

ところで1巻の主張こそ全てと書いたが、別にその後の20巻がつまらないわけではない。むしろ、べらぼうに面白い。

作者の三田紀房の得意パターンは決まっている。龍山高校のような閉鎖された社会空間で「不良が1年で東大に受からなければならない」(『ドラゴン桜』)、「高校生がいきなり億の金を運用しなければならない」(『インベスターZ』)といった、破天荒なゲームの規則を設定する。現実的な世界の中で、差し迫った状況だけが異常に虚構じみているが、とにかくそこだけは誰も疑問を挟めないし止められない、ということにする。

そこにメンターとして作者の分身である人物が現れ、常識を覆す理論を授けて革命を起こし、マンガと現実を並行して攻略していくのだ。『ドラゴン桜』の世界でも、受験にまつわる既存の神話が、良心が、常識が、平然と冒涜されていく。「不遜な逆張り」こそ作者の十八番である(図3)。

図3:『ドラゴン桜』1巻

三田紀房ワールドは、いつも異常に「お芝居」然としている。彼は人物を基本的に、キャラではなく駒としてしか描かないし、その人物造形のテンプレートっぷりには苦笑いしてしまうほどだ。

本作で下剋上受験を達成する当の受験生2人すら「不良少年A、家出少女B」くらいの無個性ぶりである。それはマンガにとって本来致命的なのだが、作者にとっては物語の世界は、自身の仮説(本作なら「東大は簡単である」という命題)を証明する手段に過ぎないので、実はあまり問題にならない。むしろこの人物たちの没個性は、物語を一般化するための故意のデザインだろう。

『ドラゴン桜』では例外的に、中卒弁護士の桜木という「生きたキャラ」が出てくるのだが、他の人物が無個性なおかげで桜木が際立っている。この男はブラックジャックの亜種のような豪傑で、歯切れが異常に良く、自己の利益を貪欲に追求しながら周囲の凡人も救ってしまうので妙に頼りがいがある。

『ドラゴン桜』が面白いのは、半分は桜木というキャラのおかげであり、シニカルな功利主義者こそが実は真のヒューマニストなのだという点で、やはりブラックジャックの受験版だと言えるだろう。

この作者のマンガや著作は結構読んだが、この人は30まで社会人をやっていた徹底したリアリストであり、極めて冷徹な視点で人間社会の本質を言い表すことができる。彼は平然と全中流を代表できる。

そして例えば「人の成功を邪魔するのは“感情”だよ」というような、当たり前のようでいて当たり前ではない真実を当たり前のように代弁し、読者の心をつかむことができるのだ。これが、10代から芸術家をしている同業者には、おいそれと描けない。生粋の芸術家たちは理念ばかりを描く。

ところが三田紀房には社会を記述するプログラムを読むことができるし、また彼自身もそれこそが自分の強みだと理解しているから、彼にとって当然の事実を組み立てるだけで、パズルのように新しいマンガを作ることができるのだ。

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投稿日時: 2019/11/24 ― 最終更新: 2019/11/26
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