荒木飛呂彦『ゴージャス★アイリン』集英社, 文庫本 2012年

『ゴージャス★アイリン』は、簡単に言えば荒木飛呂彦が描いた「特撮ドラマ風変身ヒーローマンガ」である。どういうことかと言うと、アイリンという主人公のこなす「ノルマ」が決まっているのだ。

無垢で世間知らずのお嬢様が、自分への化粧という「暗示」によって北斗神拳伝承者ばりの戦闘力を秘めた女暗殺者に変貌し、「暗示」を駆使して悪党どもを出し抜くという、多重人格とか催眠術系に属するフレームを持っているのだが、やることが基本的に一緒なのである。最初にか弱い少女の出で立ちで出現し、悪党が調子に乗って「皆殺しだー!」みたいに騒ぎ始めたら、そこで初めてアイリンが殺し屋の正体を現して「な、なんだってー!」と驚いている間に、決め台詞(「ゴージャスアイリン!」「わたし、残酷ですわよ」)を言い放って悪党を葬る(図1)。

図1:『ゴージャス★アイリン』

まあ80年代ジャンプ作品にはこういう、今見れば「型にハマり過ぎだろ」と思うような、水戸黄門的なルーティンを好む傾向があったから、別に本作が特別にそういう癖を持っていたというわけではない。例えば本作の翌年に発表された巻来功士の『メタルK』(’86)なんかも、『ゴージャス★アイリン』と演出の骨格は同じだ(美少女が変身して、決め台詞と共に悪漢鬼畜を倒す)。

『ジョジョの奇妙な冒険』が「お約束を避けようとするマンガ」だとすれば、本作は実に「お約束」と「読者サービス」に溢れている点で、悪く言えば迎合的、良く言えば王道の少年マンガになっている。アイリンは当然美女だし、「催眠ダンスの効きを良くするため」とか言ってどんどん服脱ぐし、変身と同時に乳首は立つわ、ブラは裂けるわ、と「読者サービス」という名の「ノルマ」をこなしながら悪党を叩きのめす(図2)。テレビのロボットアニメや戦隊モノが、毎回何分戦闘シーンを入れなきゃいけないとか、ロボットに合体させなきゃいけない、と決まっているのと同じである。

図2:『ゴージャス★アイリン』

それでいて「悪党が自分の殺されっぷりを大声で実況する」荒木節とか、前期荒木の骨太な作画とか、世紀末的でダークな世界観とか、そういった作家性も発揮されている時期だから、読み切りとしての完成度はかなり高い。

多重人格は結局裏側が出ずっぱりの法則

ところで荒木飛呂彦のifの話に「もし彼が『ゴージャス★アイリン』を『ジョジョ』の代わりに連載していたら?」というのがある。当時は本作を連載作品とする構想もあったのだが、荒木はこの作品ではダメだと思って『ジョジョ』を立ち上げたのである。荒木はファッションとか芸能とかイタリア的な感性のズレとか、そういった異分子をマンガに持ち込んで、マンガを複合的な芸術に仕上げようとしていたわけだから、少年マンガ的な定式をベースにした『ゴージャス★アイリン』は、荒木の才能を開花させる器としては役不足だったのは明白だ。彼は少年マンガを、もっと言えばマンガを、越えようとしていたのだから。『ジョジョ』以降の彼は、少年マンガ誌に連載していても「少年マンガ」は描いていない。

それでも、もし仮に荒木が『ジョジョ』の代わりにこっちを連載していたら?

正直、そんなに長くもたなかったのではないかと思う。あるいはネタ切れしてただのバトルマンガと化していたのではないか。これ、ジャンプで連載していたらあっという間にアイリンが「変身しっぱなし」状態になっていた予感がする。老婆だの無垢なお嬢様だのといった「変身前」の彼女の姿によるピンチの演出は、少年マンガとしてはただの「前戯」に過ぎないのだから、読者としては「早く美女に変身しろ。おっぱい見せろ。悪党を倒せ」となる(図3) 。

図3:『ゴージャス★アイリン』

「無垢と過激が裏合わせの多重人格型主人公」は、話が進む中で結局過激で刺激的な「裏側」が出っぱなしになる、という法則である。同じジャンプなら『遊戯王』(’96-04)がそう。結局あのマンガでも「オタクの遊戯くんが平和にゲームしてたところを不良が踏みにじる」という「前戯」はあっという間に省略されるようになり、「決闘者の王国」以降は「表遊戯なんていたっけ?」な状況になったわけだ。

実際、2話ある本作の読み切りでも、最初の話で早くも「アイリンが真の姿を見せる意外性」のようなものは消費され尽くした感があり、2話目では「この天然ぶったお嬢様がまた北斗神拳で悪党を殺すんでしょ?」という「変身待ち」の状態に読者は立たされる。で、その時点で「変身前のアイリン」なるものは、ほとんど用済みの前座みたいになってしまっている。これが青年誌で、もっとじっくりとした潜入型のサスペンス・アクションを描いたのなら話は別だが。

それと荒木飛呂彦は、女性をじっくり描けないマンガ家ではないだろうか。彼の作品では、女性キャラクターの割合が極端に小さい。出てきても男性的だったり(『ジョジョ』6部の徐倫)、あるいは話の合間にちょこちょこ出てくるけど多くは語らない(荒木作品のヒロイン全般)、とか。アイリンに関しては読み切りだけで終わってしまったから、破綻なく描き切った感じがするのだが、これを長期連載した場合に、果たして深みが出せたか。この作者は、5分間だけ女性を喋らせることはできるが、それ以上はボロが出る、というタイプの人な気がする。

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投稿日時: 2019/08/12
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