『連載終了!』友としての編集者を描いた漫画家マンガ

タイトルと表紙で騙された。

「少年ジャンプ黄金期の舞台裏」という副題からオムニバス的な打ち切りエピソードを期待していたら、巻来功士のジャンプ時代の自伝だった。そしてその内容が、当初見込んでいた内容より遥かに読み応えがあったのだから、恐れ入った。

私は1985年生まれなので、80年代のマンガ界の喧騒は、当然リアルタイムでは経験していない。しかしそんな私にも、マンガブーム真っ只中におけるゴールドラッシュ的な熱気が、本作から十分に伝わってくる。面白いものを作るために、誰もが全力でマンガ論を語り、言葉にも「お仕事」的な冷めた感じがない(図1)。

図1

本作のインタビューの中でも、作者は次のように答える。

作家と編集者が近かったんですよ。編集者もみんなまだ若いのに、上に気なんて遣わずにガンガンやれてましたよ。今の編集はサラリーマン化してるんで、上の顔色見ながら漫画家と打ち合わせするんですけど、その頃は上と平気でケンカしてた時代なんで、漫画家と一緒に“こんな作品どうだ!”って上司にぶつけてましたよね。

編集者たちと議論を戦わせる様子は、隣でやり取りを見ているかのような臨場感に満ちている。実は本作には、マンガを「描くシーン」にはあまりページが割かれていない。それ以上に「編集とのやり取り」が大きくクローズアップされており、マンガ家にとって編集者とはどんな存在であるか(あるいは、どうあるべきか)が丹念に描かれる。

作者にとっての編集者像

巻来に関わってくる編集は、単なるマンガ家と世俗を繋ぐ「接点」とか、夜を通した舌戦の末に論破せねばならぬ「しがらみの壁」とか、あるいは改善案を提示してくれる「教師」としては描かれない。あくまで対等の関係の中で、映画トークとか世間話とかに脱線しながらケミストリーを引き起こす「相棒」のようなポジションで描かれている。

本作の打ち合わせシーンには、独特の痛快さや爽やかさがある。この空気を生み出しているのは、実は登場人物たちの若さや拙さである。そういった未成熟さが逆に、人物にリアリティや勢いを与えていて、有り余ったエネルギーが時に暴走したり、思わぬ成功をもたらす展開が実に生き生きと描かれている。逆に他の漫画化マンガでは、編集者は主人公より成熟した「教師」や「壁」時には「敵」の役割を担うことが多い。同じくジャンプ80年代を扱う『そしてボクは外道マンになる』に至っては「味方だなんて思った事は一度もねぇ」とまで書いている。一方で本作の編集は主人公に近い「成長の余白」を持った存在なのである。

例えば巻来が信頼する編集、クンタ・スズキの仕事場での第一声は「みんな、元気にオナニーしてる?」という、およそ言語を解する生命体の挨拶としては最低最悪のものである。さらに打ち合わせ中にも競馬の中継を聞いているし、巻来のネームに対して「ホラーとかSFとか、オレ正直好きじゃないしわからないけど」と正直に言ってしまう。

しかし巻来は一見、まるでやる気のないダメ編集のようなクンタを見て、不思議と信頼感を抱く。

クンタさんはこんな人(?)だけど
正直にSFが嫌いだと言ってくれた事にも好感がもてた
なによりもネームを読んでいたあの表情を見て
この人とならやっていけるとぼんやりと感じた

そうなのだ。

クンタはふざけた部分を持ちながらも、巻来と対等の目線で一緒に面白いマンガを作ろうとする気概を持つ、とても人間的な存在として描かれている。そしてこのマンガは、このクンタのような言語化しずらい親しみを感じさせる人物の描写が実に上手い(図2)。作者が信頼を寄せる理由が画で伝わってくるのだ。漫画家マンガの中で、編集者たちがこれほどの親しみをもって描かれている作品は他にない。巻来は(少なくともジャンプ時代は)編集に恵まれた作家ということなのかもしれない。

図2:クンタと作者のやり取り

逆にジャンプでの連載を止めるキッカケとなった編集者Kだけは、徹底的に冷徹で人間味のない「イヤな奴」として描かれている。作家と編集者のシナジーが途絶えると同時に巻来の作品は勢いを失い、打ち切られる。その後スーパージャンプでクンタと再会した巻来が死ぬほど幸せそうで、読んでいるこっちまで泣けてしまう。

「縦系と横系」というマンガ家の分類

『連載終了!』で語られる作者の半生は非常に面白いのだが、実は巻末の対談も読み応え抜群。コンテンツクリエイターならば、この部分だけでも買って読む価値があるのではないかと思うほど、勉強になる。

巻来の対談相手である週刊少年ジャンプ5代目編集長・堀江(巻来の最初の担当編集者)によれば、マンガ制作にはストーリー作りに関わる「縦系」の要素と、演出やキャラクター作りに関わる「横系」の要素があるという。ストーリーをどんどん進めて行くのが「縦」で、作ったキャラクターの性格とか表情とか、個々のファクターに広がりを持たせるのが「横」である。そして堀江曰く、巻来や荒木飛呂彦は典型的な「縦系」が得意なマンガ家で、それはデビュー前から映画などに沢山触れていることが原因なのだという。

これは腑に落ちる話である。「縦系」とは要するに「作家気質」「文学寄り」な属性である。思弁的・哲学的で読者を引き込むストーリテリングが得意だが、個々のキャラクターは物語を進行させる駒としての役割が強く、ストーリーは急展開する嫌いがある(巻来曰く、早く先の話を書きたくなるらしい)。荒木飛呂彦は著書『荒木飛呂彦の漫画術』の中で、デビュー時の読み切りから既に映画的技法を積極的に取り入れていたことを解説しており『奇妙なホラー映画論』も著する生粋の映画好きとして知られる。そして読み切りや短編はストーリー中心で進行するから、「縦系」が得意な作家が描くとハズレが少ない。堀江の「縦横理論」は、こうした事実にピタリと符合する。

しかし、である。

実はマンガのヒットにより重要なのは「横系」の能力なのだと堀江は続ける。「横系」で生まれるのは、キャラの仕草や演出など、個々の場面に奥行きをもたせて、説得力を生み出したり読者を感情移入させるための「情報」であり「余白」である。人気がないマンガの1つの特徴として、ページあたりの平均コマ数が少なく、全体の情報量が不足しているため読者が話に入りきれないのだ、と指摘してみせる彗眼には唸らされる。

この対談の最後の部分で「コンテの重要性」が語られ、コンテの得意な巻来が堀江から勧誘されているのが面白い。対談企画というよりは、連載中のマンガ家と編集者がファミレスで話し合っているようなノリが感じられ、マンガで描かれる過去と現在がふっとリンクしているような爽やかさがある。

出典

図1,2:巻来功士(著)『連載終了!少年ジャンプ黄金期の舞台裏』,イースト・プレス
インタビューは荒木飛呂彦になれなかった、もう1人の天才漫画家 ― 巻来功士が語る「少年ジャンプ舞台裏と表現規制と…」

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投稿日時: 2018/09/21 ― 最終更新: 2019/03/24
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