投稿日時:2019/07/07

リアルタイムで追いかけていたときに「またか」と思ってしまった。

現代版『まんが道』(’77-82)を目指すかのような、二人の少年による漫画家マンガであり、序盤はとにかくスピード感がある。作画を担当する真城最高が第一話にしてヒロインの亜豆に事故気味に「求婚」してしまい(「告白」ではない!)、これからとてつもない熱量のストーリーが展開されることを予感させる。『バクマン。』を描くのは『デスノート』(’03-06)コンビの大場つぐみと小畑健であり、大場は設定と展開による序盤の引き込み方が抜群に上手く、小畑による作画は週刊連載とは思えないほど美麗。

例えば主人公らが最初に集英社に持ち込みをするときに「わざとダメ原稿を持っていって編集の観察に徹する」という不遜な作戦(これは実行されないが)。例えば天才的なライバル漫画家の新妻エイジが初登場した際の「僕が一番人気になったら、嫌いなマンガを1つ終わらせる権利をください」と言ってのける攻撃性。この「攻めてる感じ」。この、一切出し惜しみをせずに怒涛の展開を連続させる「ワクワク感」に、読者はシビレたのである。

ところがこの勢いは5巻くらいまでしか続かなかった。それ以降は緩慢なサクセスストーリーに過ぎない。登場人物らがみんな仲良しになってしまい、ライバルの新妻エイジですら、初登場時の攻撃性はどこへやら、普通の「いいヤツ」と化してしまって、緊張感のないまま物語が進む。中盤以降はキャラ同士がファン受けしそうな掛け合いを適当に繰り広げながら、話の最後に次回への引きを作って終わり、というようなルーティン的ストーリー展開を繰り返すようになってしまった。

このパターンはあたかも前作『デスノート』を踏襲するかのようであり、だから「またか」と思ったのである。『デスノート』も、最強の殺人ノートを手にしながら1話目から追い込まれる主人公、いきなり自分の正体を暴露して攻めてくるライバル探偵など、序盤は常に「攻めている」目を離せない展開を連発しながら、5巻以降は引き伸ばしマンガと化してキャラ同士の掛け合いがメインになってしまった。どうも大場つぐみのプロットの作り込みは4巻あたりまでが持続限界のようで、それ以降は自転車操業的なキャラクター商売に陥る傾向があるようだ。

このマンガには面白くなりそうな要素、もっと活かせそうなキャラなどがいくらでもあった。例えば主人公らが赤マルジャンプに掲載させたという設定の作中作『この世は金と知恵』は、作品内でちらりと見える絵やプロットの概要を聞く限り、面白そうであり、こういった作中作をもっと具体的に描いて欲しいと考える読者は私だけではなかったはずだ。他にも『ラッコ11号』でいきなり脱サラデビューした平松、またライバルの新妻エイジなど、登場初期には強烈な個性を漂わせるアンチテーゼ的な反骨のキャラが揃っていた。が、中盤以降はみな少年マンガ的にありふれた、主人公サイドの仲間の1人に成り下がってしまったのが残念である。

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