『進撃の巨人』と『かぐや様~』の作者の共通点――本当の敵はなんなのか

赤坂アカ『インスタントバレット』1巻, KADOKAWA, 2014年

実は『かぐや様は告らせたい』(’15-)で名を馳せた赤坂アカの処女作品『インスタントバレット』(’13-15)を読了した時から、赤坂アカと『進撃の巨人』作者の諫山創がマンガを通して表現したいことは、似たようなことなのではないかと考えている。

『インスタントバレット』の内容をザックリ話すと、世界から疎外された特殊能力者である主人公らが、世界の破滅が1年後に迫っていることを予言されるが、むしろ世界に深い憎しみを抱く能力者たちは、自らがその予言を成就する破壊者となるべく、世の中への呪いを撒き散らしながら争いを繰り広げていく、というものである。登場人物はほぼ全員が精神的に病んでおり、矛盾に満ちた言動を繰り返しながら他者と衝突を繰り返す(図1。ちなみに『かぐや様~』で唯一この気質を継いでいるのが石上である)。

図1:赤坂アカ『ib インスタントバレット』1巻, KADOKAWA, 2014年

詳しい解説は「赤坂アカの素晴らしき大欝漫画を君はもう読んだか?」の記事に譲るが、ラブコメに徹する『かぐや様~』と正反対の超絶的な鬱展開の連続であり、作者はこの作品こそが彼のライフワークであると述べた。そして赤坂アカの作家性について、私は以前次のように分析した。

むしろ『インスタントバレット』の世界こそが赤坂アカの「現実」であり、『かぐや様~』は作者のニヒリスティックな世界観の裏返しとしての、底抜けのユーモアで満たされた「フィクション」と言えるのではないだろうか。

この作品の敵は、世の中そのもの、というより、人間社会をさらに超えて、我々人類にこんなにもやり切れなくて絶望的な現実を問答無用で押し付ける宇宙の不条理性である。「敵」がそもそも存在するのかすら分からない。やり場のない怒りの発散対象として、彼らは「人間社会」そのものを破壊し出す。

『進撃の巨人』の敵は何なのか

で、『進撃の巨人』である。この物語の「敵」は当初、自分たちを問答無用で喰い殺す巨人であった。敵は巨大で醜悪な外見を晒しているし、人間側から見た「善悪」が明白であったので「巨人を駆逐して人類を解放する」という非常に分かりやすい図式が成立していた。

ところがこの図式は、あたかも独裁国家が国民の不満を逸らすためにでっち上げたかのようなフェイクに過ぎず、エレンが巨人化をしてから(=敵の身体になってから)段々と敵と味方の境界が溶解し、曖昧になってしまう。このことはさらに、国民に真実を隠し続ける王政側、兵団内部の裏切り者の存在、そしてウォール・マリア奪還後に明かされる真実によって混迷を深めていく。第二部に至っては、敵側の視点に強いスポットが当てられ、むしろ主人公らが「悪」そのものではないか、という『魔王ダンテ』(’71)ばりの善悪逆転現象が起きる。

では『進撃の巨人』における「敵」とは何だろうか、と考えたときに、ある繰り返しつぶやかれるフレーズが思い出される。それが「世界は残酷だ」という、ミカサやベルトルトが口にした言葉である(図2,3)。

図2:この場面の直後「教会でひたすら神に祈っていただけの人々が巨人に潰されて死ぬ」という描写が入る(諫山創『進撃の巨人』8巻,講談社, 2012年)
図3: 諫山創『進撃の巨人』19巻,講談社, 2016年

特にベルトルトのセリフは「何が悪なのか」を考える上で分かりやすい。この箇所の彼のセリフを繋げると次のようになる。

きっと…どんな結果になっても受け入れられる気がする。そうだ…誰も悪くない…。全部仕方なかった。だって世界はこんなにも――残酷じゃないか

『進撃の巨人』19巻

「誰も悪くない」「全部仕方なかった」という言葉が重要で、結局のところ『進撃の巨人』世界に、分かりやすい実体を持った「悪」は存在しないということになる。では何が悪いのかというと、それはあえて言えば、彼らが口にした「世界」ということになるだろう。

「世界」というフレーズで思い出されるのが、第一部の終盤にユミルやハンジが述べる「敵?そりゃ言っちまえば世界」「敵の正体は人であり、文明であり、言うなれば世界です」という言葉である。そしてベルトルトらのセリフや作品のテーマを踏まえれば、この「世界」には2つの意味があると考えることができる。つまり文字通り「世界中の人間社会が敵だ」という意味と、もう1つは「世界=宇宙の不条理そのものが敵であり、悪である」という意味である。

ここで今一度、一番最初の「巨人が悪である」という図式に戻ってみると、実は観念上ではエレンたちはずっと同じ敵(=不条理)と戦っている、と見なすことも可能ではないだろうか。

図4: 諫山創『進撃の巨人』2巻,講談社, 2010年

そもそも何故、巨人たちが「悪」足り得るかと言えば、彼らの存在そのものが理不尽の塊であったからである(図4)。人類をちっぽけな「食糧」としてしか見なさず、何のためらいも後ろめたさもなく踏み潰し、捕食する巨人たち。その不条理性は『インスタントバレット』にもあったような「私という存在に無関心な他者」「勝手に生と寿命を与えて理不尽に自滅させる自然」「私と無関係に運動し続ける宇宙」といったどうしようもなさに似ている。巨人たちは、そういった宇宙の不条理を具現化した存在と考えることもできる。

『進撃の巨人』と『インスタントバレット』にはどちらも、世の中の理不尽に対する作者の強い怒り、不信感、反抗心といったものが表現されており、それがファンタジックで少年マンガ的な設定に包まれエンターテイメントとしてパッケージ化されている。しかし世の中そのものへの強い違和感や悲観を基底にしたテーマは、夢や希望を称揚する一般的な少年マンガとはベクトルが逆である。そういった作家性の人々が、今まさにマンガ・アニメ界の最前線に立っているのは興味深い。

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投稿日時: 2019/06/04 ― 最終更新: 2019/07/17
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