『進撃の巨人』で描かれる「捨て身の哲学」の進化とアルミンの成長

『進撃の巨人』では繰り返し「何かを得るためには何かを捨てなければならない」という考え方が描かれており、主人公たちは常に何かを切り捨てながら「変革」を成し遂げていく。物語開始時点で既にエレンたちの世界は急速に滅亡へと向かっており、そのような状況下で「変革」が強く称揚されるのは当然のことだろう。そして調査兵団は、それまでにない試みや死亡率の高い遠征を繰り返すことによって、自らの保身や名誉をも捨て去り、物語の中盤、そのリターンとしてウォール・マリア奪還成功という最大の戦果を得るのだ。

アルミンの「覚悟」の前進

「犠牲を自ら払うことによって、戦いの場において『より強いカード』を切る権利を得られる」という「捨て身の哲学」を考える上で、最も重要な人物がアルミンである。この人物は物語開始当初、聡明博識だが常に及び腰で「現場」における行動力に欠け、結果として足手まといになってエレンを「死なせて」しまうという失態が描かれる(図1)。この時点でアルミンは、いざという時に捨て身の決断ができない「弱い」人物として描かれており、その点でその他の大多数の兵士や市民たち、あるいは読者たちと大差なく、読み手と同じ視線で物語の残酷さに直面する。

図1:諫山創『進撃の巨人』2巻, 講談社, 2010年

しかしこのような敗北と、兵団内部に敵がいるかもしれないという過酷な現実、そして同じ智略型のリーダーであるエルヴィンの決断の様子を見ることによって、アルミンが徐々に変化していく。第27話「エルヴィン・スミス」でアルミンが語る「捨て身の哲学」は、まさに本作の理念の根幹を説明するものである。

確信していることがあるんだ…何かを変えることのできる人間がいるとすれば、その人はきっと、大事なものを捨てることができる人だ。化け物をも凌ぐ必要に迫られたのなら、人間性をも捨て去ることができる人のことだ。何も捨てることができない人には、何も変えることはできないだろう。

『進撃の巨人』7巻, 講談社, 2012年

この話の中でエルヴィンは、仲間100人の命を犠牲にして女型の巨人の捕獲に成功しかける。しかし女型の巨人は、さらに己の肉体をも犠牲にする博打によって窮地を脱する。つまりエルヴィンの策を、(情報戦で大きな差があったとは言え)女型の巨人のさらなる覚悟が上回ったのである。この覚悟を前にして、さすがのエルヴィンも「敗けた」という表情を見せる(図2)。

図2: 『進撃の巨人』7巻

同じ時に、森の中を逃走するするエレンは「これが最善策だ!お前の力はリスクが多すぎる!」という言葉を「信じて」しまい(=保守的な選択)、結果として護衛にあたっていた仲間を全滅させてしまう。ことほどさように『進撃の巨人』の世界は覚悟のない決断、保守、優柔不断に対して残酷な結末をもたらす。

アルミンが最強の敵を倒すということ

このような「捨て身」が強さをもたらす場面は、作中で繰り返し描かれる。女型の巨人がエレンを潰すリスクを承知で地下道を攻撃する場面もそうだし、サシャが子供を守るために矢を直接巨人の眼に突き立てる場面もそうだ。

このサシャの決断は、手短に描かれてはいるけれども私のお気に入りで、彼女は「最後の矢を外したら逃げられない」という状況下で、あえて巨人に直接矢を突き立てにいく。巨人に組み付かれる危険を犯す捨て身によって、確実に矢で眼を潰し、少なくとも子供だけは必ず逃げられる決断をしたのだ。

アルミンの方も物語の進行と共に、様々なものを捨てる覚悟を身につける。連れ去られるエレンを巨人から奪還する際には、人間性を投げ捨てて、それまでのアルミンからは最も縁遠い、過酷な挑発を口にしてベルトルトの注意を引きつける(図3、この決断の際にも、片腕を犠牲にしたエルヴィンが脳裏に浮かんでいる)。憲兵団との戦闘に際して、ジャンを助けるために人を殺めることすらする。大切なものを投げ売つ代償によって、彼は仲間の命を救うことに成功する。

図3:『進撃の巨人』12巻, 講談社, 2013年

そしてアルミンにとって最大の決断の機会が、第一部のクライマックスとなるウォール・マリア奪還作戦である。ここでなんと彼は、自らの夢や命をも投げ捨てる(それも確実に)最大の捨て身を実行することによって、作中で最強である超大型巨人を倒すことに成功する(図4)。巨人にトドメを刺したのはエレンであるが、実質的に打倒した最大の功労者がアルミンであることは疑いないことだろう。

図4:『進撃の巨人』20巻, 講談社, 2016年

アルミンはエレン、ミカサら主要三人物の中では唯一、読者のような一般市民に近い精神力や肉体能力で巨人と遭遇する、言わば読者目線で『進撃の巨人』世界を旅する人物である(エレンとミカサは最初から超人的な精神力や肉体を有している)。ポジションで言うなら『ダイの大冒険』のポップに近いところがあり、そのような「弱者」の代表たるキャラクターが第一部で最弱の状態からスタートし、成長を重ねることによって、最終的に最大の敵を倒すという成長のカタルシスに、第一部の構成の美しさがある。

エルヴィンの「負債の清算」

このアルミンの「捨て身の哲学」の進化を追って思うのは、やはりエルヴィンというのはアルミンの精神的な師匠なんだなということ。調査兵団が物語に出現した直後から、エルヴィンは言わば「アルミンの完成形」として兵団を率いていて、アルミンが成長する時には常にエルヴィンの背中が見えていた。そうしてアルミンの成長が同タイプの智将によって牽引された。

そう考えると第一部の最後で、エルヴィンとアルミンの命が天秤にかけられることには必然性がある。この決断は「師匠と弟子のどっちを取るか」という決断である。実力や立場で言えばエルヴィンを取るべきだろう。ところがエルヴィンは長い戦いの中で、あまりにも多くのものを捨て過ぎてしまっていた。エルヴィンは最後の特攻を実行する直前、彼が犠牲にしてきた「亡霊」の重荷をリヴァイに漏らす(図5)。

図5:『進撃の巨人』20巻, 講談社, 2016年

大義名分を掲げて同志たちを犠牲にし続けた結果、彼の人間としての「負債」は限界に達し、捨て去ったもののあまりの大きさと過酷さが、人に彼を「悪魔」と呼ばせるに至った。つまり何かを捨て去って戦うことは、強烈な強さをもたらすが、あまりにも多くのものを捨てすぎると、人は人でなくなってしまう(図6)。

図6:『進撃の巨人』21巻, 講談社, 2016年

リヴァイが下した決断は、言わば臨界に達しつつあったエルヴィンの「負債」の「清算」であり、まだ「負債」の少ないアルミンに彼の負っていた役割が引き継がれたと見ることができる。リヴァイの「だがもう…休ませてやらねぇと…」は、そういう意味だと思う。

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投稿日時: 2019/06/03
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